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仏生会 2023年4月ポレポレ俳句部

題詠「仏生会」
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仏生会遠い遠いの近くなり(のん)

サイコロの天地を返す花祭(紙の舟)

風船の色とりどりや仏生会(松竹梅)

パトロール中ののら猫仏生会(楽来)

仏生会花のアロマのプレゼント(お菓子)

ほとけさまルールまもって仏生会(なんり)

玉砂利の音かろやかに花祭(藤風)

ブッダ産みいて茶掛け笑む花の舞(なおし亭ことなし)

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でました、楽来です。重い重い腰をあげて筆をとっています。月に一度、ポレポレ俳句部の報告がてら、文字を羅列させていただいてます。

今回は最近観た映画の話題に触れて、そこから今月の題詠の「仏生会」にアクロバティックに着地してみようと思います。


先日「ドライブ・マイ・カー」という映画を観ました。

海外のどこかの何とかという映画祭で、何かの賞をとったとかとらなかったとかで以前話題になったことがあり、村上春樹の短編小説が原作だということもあり、気になっていたんですが、ネット上に公開されたので早速観てみました。
ネタバレが過ぎるとよくないので、僕が一番印象に残ったセリフについてだけ触れます。

主人公の男が「僕は正しく傷つくべきだったんだ」というようなことを言っていました。こういうセリフを聞くと僕の壊れかけた頭が動き始めます。

いきなりですが、僕の浅はかな仏教理解によると、仏教においては人の生を苦しみと捉えています。言い換えると、人は生存の条件そのものによって既に傷ついている、ということです。何もそんなに暗い話じゃありません。仏教においては、生きることは苦しみだけど、それを正しく認識することによって人は救われると教えます。つまり、「正しく傷つきましょう」ということなんだと思います。

さて、この映画の主人公は、実際に心に傷を負うような体験をした訳なんですが、では、そのような特殊な体験をしない人は、正しく傷つくことができるのでしょうか。あまり長くなってはまずいので、ここに一つの仮説を提示したいと思います。

それは「現在の人間は、お金によって深く傷つけられている」というものです。

唐突なようですが、僕には確信があります。例えば先進国における少子化問題の背景に、どんな問題が潜んでいるでしょうか。それは、人々が結婚や子育てをリスクと考えるようになったということです。近年なぜ不登校や発達障害の問題が顕在化するようになったのか。それは、人々が生産性の観点から人を評価する傾向が強まったからだと思います。

僕は、自分が深く傷ついていると考えるようになってから、敵の姿を見定めたいと思っていました。敵は様々な姿をとります。親であったり、僕の生まれる前の戦争であったり。しかしどうでしょうか。もはや敵の姿は明確になってきたのではないでしょうか。みんなで戦いましょう。生け捕りにした捕虜はぜひわたくしめまでお送り下さい。責任を持って処分いたします。

どうやら着地に失敗したようです。

楽来/生まれてこのかた生きっぱなし


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