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coro’s note from 夢見る書店 「眠りの神秘」

◆NEFNEに関わる人たちによる自由連載《汽水域の人々》
雑貨屋&フリースペースのお店「NEFNE」で交わるひとびと。多様な執筆陣がリカバリーストーリーをはじめ、エッセイ、コラム、小説など好きなように書いています。


 僕たちは人生の三分の一の間、眠りの中にいると言われている。その時間と比例するように「夢」という世界に足を踏み入れる。ここでの「夢」は現実的ではなくて、「幻」に近いものを示す。「夢」の中では空を飛ぶことやタイムスリップすることまでも可能にしてくれる。それは「幻」が見せる一つの情景だ。しかし、眠りというのは実に不思議な体のメカニズムでもある。僕たちは眠ることを忘れて生きることが出来ないのだ。長時間、起きておこうと仮に試みても僕らの前には悪魔が立ちはだかる。その悪魔を僕らは「睡魔」と呼んで時と場合によっては撃退したり、その悪魔に身を委ねたりする。

 だけど、悪魔に負けたからと言って決して「夢」の世界が「悪」一色で染まることもない。いわゆる「悪夢」と僕たちが呼んでいるものだ。だって考えてもみてよ。「悪夢」じゃなくて目覚めのいい「夢」を見たとき、僕たちはもう一度、その世界へ向かいたくなる。それは「夢」が「幻」ではなくて、現実であって欲しいから。眠る直前は「睡魔」という「睡眠悪魔」と戦うというのに、眠ってしまえば「幻」を見て、そこで現実では考えられないことを体験する。

 確かに「睡魔」がもたらすものには「悪夢」もまた存在する。それは気持ちのいい時間ではないし、起きた時の息苦しさは計り知れない。でも、僕たちはそれが「夢」であったことに安心して今日を過ごせる。
 逆に心地のいい「夢」だったらスッキリ目覚めることが出来て、今日一日が明るく楽しいものになると心を弾ませることが出来る。

 いずれにしても、僕たちは眠りをないがしろには出来ない。その「夢」の内容がたとえ、「悪夢」であっても、「心地のいい夢」であったとしても。
 眠りのバランスは今日を作るバランスでもあるということを忘れてはならないのだ。


【今回の執筆担当者】
兼高貴也/1988年12月14日大阪府門真市生まれ。高校時代にケータイ小説ブームの中、執筆活動を開始。関西外国語大学スペイン語学科を卒業。大学一年時、著書である長編小説『突然変異~mutation~』を執筆。同時期において精神疾患である「双極性障害Ⅱ型」を発病。大学卒業後、自宅療養の傍ら作品を数多く執筆。インターネットを介して作品を公表し続け、連載時には小説サイトのランキング上位を獲得するなどの経歴を持つ。その他、小説のみならずオーディオドラマの脚本・監督・マンガ原案の作成・ボーカロイド曲の作詞など様々な分野でマルチに活動。
闘病生活を送りながら、執筆をし続けることで同じように苦しむ読者に「勇気」と「希望」を与えることを目標にしながら、「出来ないことはない」と語り続けることが最大の夢である。
夢見る書店 本店
https://takaya-kanetaka-novels.jimdofree.com 

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