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今日も甜花ちゃんがペットボトルを開けてくれるから

最近、輪をかけてシャニマスにはまっている。

前から摩美々には発狂気味にのめり込んでいたのだけれど、最近は透&にちかに情緒をめちゃくちゃにされている。にちかは半分事故みたいなものなので仕方ないとして、透については実は意図してのことだった。
シャニPさんと話しているときに、まだ一人しか掘り下げられていないが、今のキャパならもう一人くらいいけそうな気がするなどと口が滑ったのがきっかけで透について本腰を入れて考えることになったのだ。
そして透を「もう一人」に選んだというか、流れでそうなったのだが、実はその「もう一人」候補のなかには甜花がいた。
甜花にも良いよなと思うところがぼんやりながらあって、深めるとっかかりは見つけていた。

そういう事情もあってこの前、風呂に入りながら「甜花ちゃん、やっぱいいよな〜」という思いがふと浮かんできた。
もう一人と言いながら、結局三人と向き合っているところに、さらに追加するのは節操がない気もするのだけど、よく考えたら後ろめたくなる理由もないので書くことにした。
それが今回の記事を書き始めた経緯なのだけど、もう少し前の経緯から説明していきたい。


例によってネタバレの予告だが、【秘密のだらだらタイム】【身支度はお任せ☆】【事務所。静寂。大輪の華】のコミュに触れる。
そんなに深刻なネタバレではないと思っているが、一応。
なんだかんだ【RELAXIN】の中身には触れなかった。

経緯

実は、アルストロメリアをちゃんと応援できるようになったのは比較的最近のことで、けっこう長い間、甜花に対する気持ちはこれで大丈夫なんだろうかという懸念も抱いたりしていた。

というのは、もし甜花を応援する気持ちが「こんなダメな子でも一生懸命頑張っているんだから自分も頑張ろう」ならば、うまく言えないけれど極めて不正なことであるように思われたのだ。
いわゆる「ダメなところ」は徹頭徹尾ダメなのではないというか、甜花らしさの一部でもあるからだろうか。ダメなところを悪徳とみなすことで、それを矯正する頑張りが良いものとなっている構造が受け入れ難かったからかもしれない。
あるいは、ダメなところがあるから自分が守ってあげなくてはという気持ちを駆り立てるのであれば、逆説的に甜花にダメであることを要求することになる。不適切ながらいまだ常識的なジェンダーロール(男性に守られるかよわい女性)を押し付けることでもあるし、それに荷担するような真似はできない、というのは明確に意識していた拒否感だ。(もしそうなら嫌だなという意味での拒否感)

ダメであることを要求することへの懸念は、実は甘奈の甜花に対する思いについても抱いていて、何か踏み固めるべき土台が作られないままにアルストロメリアが活動しているような印象を長らく抱いていた。
だから『薄桃色にこんがらがって』は、個人的には起こるべくして起きたとも思っている。そして、あれを経てようやくアルストロメリアのことをちゃんと、危うげなく、見れるようになった。
よくよく考えれば『薄桃色』を待たずともアルストロメリアの良さは示されていたはずなのだけれど、そこまでのチャリティーを発揮するタイミングがなかった。
なにせ僕は摩美々でいっぱいいっぱいだったのだ。


そうして落ち着いて向き合えるようになった後、千雪さんの【RELAXIN】がリリースされた。

千雪さんの趣味が鍋やお部屋によく表れていて、これから三人で鍋を囲む楽しいひと時が待ち受けていることが伝わる素敵なイラストだ。
調理を終えて二人に声をかける千雪さんに、皿を並べて千雪さんに答える甘奈。そして奥では、甜花ちゃんが一生懸命ペットボトルの蓋を開けている。

この姿を見たとき、甜花ちゃんが一生懸命ペットボトルの蓋を開けているから自分も頑張れると思った。

正直、この感想にはかなり戸惑った。
当初から警戒感を示していた「こんなダメな子でも頑張っているんだから自分も頑張ろう」という励まされ方と、字面のうえではよく似ているからだ。と同時に、いま抱いている感情とダメな子云々は全く相容れないとも思えたからだ。
要するに「パッと見やばそうだが多分これは大丈夫なやつだ」という直感があった。

この訳の分からない励まされ方をずっと大事に温めていて、甜花ちゃんパワーの正体はいつかしっかり考えたいなと思っていて、先日の風呂場で、なんか、そのタイミングが到来したのだ。


ミスディレクション

当初、甜花がダメな子として描かれていた、というかダメな子と印象付けられていたのは間違いない。
そのことをいくつかのカードで確認しておきたい。

最初のカード【秘密のだらだらタイム】では、レッスンの予定を間違えていてすっぽかしたあげく、仕事の日じゃないからと度々かけていた電話に折り返すのを後回しにしていた。

自分の失敗について、怒られることを真っ先に心配するのも、一見すると救いようがない所業ではある。(とはいえ、それが甜花の良さの裏面であると今は思っている。後ほどリカバーする。)


また、【身支度はお任せ☆】はイラストからして甜花が遅刻しているときのものだ。この事態を引き起こした張本人でありながら、甜花だけが何もしていない。これは甜花の不甲斐なさのせいとも、甘やかしてる二人のせいとも受け取れ、甜花がこの後のコミュで努力するのも、ダメな子がダメじゃなくなるために努力する話であるような気がしてしまう。
が、これもしっかりコミュを読めばそんなこともなくて、こちらの印象もまた覆るものだ。


おまけとして、個人的にかなり好きなのでR【283プロのヒナ】も見ておきたい。

全体としてゆったりとした室内用の衣服が目立つのだが、注目したいのがお腹のところのポケットだ。右手で無造作に色々突っ込んでいるのがわかる。
食べ終わったお菓子の袋も入っていることから、ゴミ箱に捨てに行く手間を惜しんでいるらしい。ゴミと一緒に飲みかけのペットボトルが突っ込まれているからには、何かのルールに従っているのではないのだろう。後先考えずにとりあえず入れている光景が目に浮かぶ。
ポケットの内容物が右側に偏っていることから、左手を使うこと、ひいては左手を使える体勢に変えることも面倒がっているのではないかとさえ思われる。

色々想像が膨らむのでとても好きなイラストだ。
なお、ここで示唆されているのは、やはり不規則な生活や怠惰な人物像である。

初期に実装されたこれらのカードはどちらも甜花のだらしなさが目立つもので、いろんなアイドルがいるなかで特に甜花に注目するのでもない限り、「これから頑張ることになるダメな子」というイメージにミスリードされるのは仕方ない。
というのは言い訳じみているけれど、少なくともそういうストーリーが前面に押し出されているように見え、僕は長らくそうした印象を払拭できずにいた。


にへへって笑う

よくよく考えればそりゃそうかとも思うのだけど、甜花ちゃんの良さは別に苦手なことを克服するべく頑張るところがメインではない。

たとえばさきほどの【身支度はお任せ☆】で言えば、ここ。

甘奈と千雪さんは二人とも頑張る姿を応援しつつも、甜花の「可愛い寝顔」を大事にしている。
思い返すと、この場面は「我々の庇護を求める弱い存在でいてくれ」という願いだったら嫌だなと、かなり穿った見方をしていた。我ながら馬鹿すぎる。甜花ちゃんが離れて行ったらどうしようという甘奈の痛切な叫びを聞いた後だったというのはあるとしても、希望的ならぬ悲観的観測が先立っているのは、ちょっと否めない。


結論から言えば、というかそれほど目新しいことでもないのだけれど、甜花の魅力は好きなものをちゃんと楽しめるところにあるのだと思っている。

最初のSSRにあたる【事務所。静寂。大輪の華】では、プロデューサーと一緒に花火を見る流れになる。
花火には甜花の方から誘うのだが、なぜ誘ったかと言えば甘奈と一緒に見に行って楽しかったからだ。思えば、甜花はゲームが好きだからゲームをやっているのであって、現実逃避的にゲームをやっているのではない。だからこそ腕が上がっていくのだろうし、ゲームにのめり込んで自我を持っていかれるタイプではないことは【お日様染めのマリーナ】あたりでも確認できる。

甜花は好きなものを心置きなく楽しめる子で、そういう素直さが実はとても得難いものであることを大人になるほどに痛感する。楽しいんだから楽しいってちゃんと笑えばいいのに、妙にむすっとしている自分を見つけると、なんだかつまらない人間になってしまったなと思う。

これと対照的に、甜花の純粋な情動は、激しくも正しく心を乱す。

甜花:たまやー……!
甜花:終わっちゃった……
P  :最後の花火、すごかったな
   連続で打ちあがって、豪華だったよ
甜花:うん……
   その前の、大きい花火も……綺麗だった……
甜花:……でも花火って、終わっちゃうと……
   さびしい、ね……
甜花:……花火……
   また、見たいな……

これほどまでにしっかりしょげている甜花を見ると、我々としてはなんとかしてあげたいという気持ちに駆られる。
それを「かわいそうだから」というのでは何か違う。別に楽しくもなさそうだったのに「もう終わっちゃった」などと言われたら、かわいそうとも思わずちゃんと見てたらよかったじゃんと毒づきたくもなる。甜花の場合はそれまで嬉々として「たまやー」と叫んでいたからこそ、この落ち込みが我々には堪えるわけだ。

なんとかして願いを叶えてあげたいと思わせるだけのものが甜花にはあって、それは【身支度はお任せ☆】において千雪さんが伝えていたことでもある。

僕はこのコミュをたいして読みこまず、決めうち的にダメな子がダメでなくなる努力をする話のような気がしていたので、このセリフはあまり重視していなかった。というか、そのままでは問題ありな状態に対して「そのままでいいよ」と言うかのような危うさすら感じていたのだけれど、それは普通に誤解で、「努力して偉いけど、でも甜花ちゃんにはちゃんと魅力があってね」という話の流れであった。
このセリフ、誤解している場合でなく大事だった。それがなんであれ好きなことを幸せそうに楽しめる純真さを千雪さんは感じ取っている。純粋に楽しむというのは頑張って習得するようなものでもないのだけれども、甜花だからこそできることでもあるのだ。

自分の感情に対してとことん素直であることには、しかしやはり両面あって、嫌なものについてはしっかり嫌がることになる。それが人混みに対する苦手意識や【秘密のだらだらタイム】での怒られることへの怯えにつながったのだろうと考えられる。そうすると、あのときの甜花は片面でしかなくて、あれをもって全否定してはならないことがよくわかる。
ちなみに、シャニPはあの後、怒られるだろうが一緒に謝ってあげると言っていて、本当にイケメンだった。


まとまりがなりつつあるので、ちょっと強引に締めに入ろうと思う。

甜花ちゃんが「にへへ」と笑うとき、本当に嬉しいんだろうなとわかるし、甜花ちゃんが「あぅ……」とこぼすとき、悲しいなりつらいなり疲れたなり感じているのだろうなとわかる。

そうした姿が我々をしてなんとかしてあげたいと思わしめる。これについては、個人的に「他人事のように嬉しい」という感覚を大事にしているのもあって、もう少し深めたいところではあるのだけど、考えるにしてもちょっと手駒が足りないので、悔しいが少し保留だ。
さしあたって注目に足るのは、ひとの素直な情動の変化が我々の情緒を賦活しうるということだ。目の前のことに素直に誠心誠意向き合うことや、斜に構えずちゃんと生きることを思い出させてくれると言い換えてもいいのかもしれない。

甜花は甜花なりに楽しいこと嫌いなことに対して100%のリアクションをしているわけで、僕のような他人の目を気にして感情を顔に出したがらない擦り切れた人間には沁みるのだ。
楽しいときにオーバーに楽しいと見せびらかす必要もないし、控えめな性格であるからといって楽くなさそうだと思われる筋合いもない。
そんな当たり前のことを思い出させる。

甜花ちゃんが一生懸命ペットボトルの蓋を開けているから、僕も一生懸命頑張りたいなという気持ちになるのだ。

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