見出し画像

七草にちか 私なり「秘密のメモ帳」

七草にちかの初プロデュースをしているのですが、感情と考えとが早くも氾濫しているのでシーズン1終了時点で、書き進めながらプロデュースをしていくことにしました。
シャニPだって各シーズンに8週間かけてるんだから、ゆっくりやらないとこちらも不手際でしょう。


※一通り書き終えて、ここに挿入するのですが、いろんな意味で強めの解釈になったと思います。
ひとまずはみなさん自身で一連のコミュを咀嚼してから読んでいただければと思います。

改めての第一印象

プロデュース前に改めて立ち絵を眺めてみました。直感的に「283プロ屈指の平凡さ」を感じました。要素に分解してこの印象を改めてみます。

ダウンロード (39)

顔を隠すと肩周りが下方向へやや落ち込んでいる印象を受け、妹気質という事前情報に反して、自分に自信がないというか、堂々と胸を張ることはできていない感じがします。

そうして見ると、顔もまた笑顔になりきれていない感じがします。アイドルロードで特訓する前のアイドルはみんなぎこちない雰囲気を感じたりするものですが、そもそも笑顔でないというよりは、これができるせいぜいの笑顔になってしまっているという風に見えました。

今はシーズン1を終了した時点で執筆しているので、我ながら核心を突いていたのかもしれないなと感じています。


 <she>

ダウンロード (29)

言わずもがなの特殊演出。普段なら「担当していただくアイドルは〜」で次に飛ぶところなので、既に何事かを了解していることが察せられます。

出会いのシーンはかなり強引なお願いでした。はづきさんのコネを使うのかとも考えていただけに、何か事情があるのではと思わせます。はづきさんの居る事務所に所属しようとしていることから、単純に仲が悪いとかではなく、それゆえかえって事情の根はもっと深そうに感じます。

自己流で、素人っぽくて……平凡で
けれどアイドルが好きなんだろうなぁという憧れと懸命さに溢れていて────

第一印象と合うなぁと思った箇所です。他方で、脅してまで入ろうとする非凡さは隠しきれず、なにか切迫したものを感じます。

その様子はプロデュース画面で放置したときのボイス(確認したのは二種類)でも感じられました。他方で、最初のセリフでは集中してると言って「バリア」と発言しています。自分を押し売りする一方で、何かを守ろうとしており、にちかの弱みを救わねばならない予感がしています。弱みであればこそ、開示してもらうのも難しいので、困難な道行となりそうです。

ダウンロード (30)

シャニPも困惑してますね。シャニPのこの独語、なにか異質なものを感じます。なんでしょう。
ここで立ち止まってみて改めて気づかされるんですが、今までにオーディションで落とした子がいくらでもいるんですよね。プロデュースしようと思わなかった子がたくさんいて、この子は多分、状況によっては落としたかもしれない子なんだという考えが浮かびました。

これまでの経緯からして、自分を持っていて伸ばしていけるものがあるはずだと、凡庸な言い方だと「磨けば光る原石」を感じた人を採用しているのだと思います。対して、にちかは平凡だし危うげにも感じます。僕が感じている危うさとは強引な手段をとる危うさではなく、何かに縋って生きている人特有の危うさです。

ダウンロード (31)

そうした自分を持っていない感じ、磨くべき何かがない感じが、アイドルではなく研修生としての異例なスタートとなったのではないかと思います。
(確認してないけど、最初のファンが0人だったら面白いですね。そんなことないか。)

もう一つ、この辺で気になってるのは「八雲ななみ」と名乗った最初と合格が決まった後の屋上での勝ち名乗りで「七草にちか」とフルネームを使っていることの対比です。
七ユニット目に最初から仕込んでおいた七草の姓をぶっこんできていることに恐ろしさを感じているのもあって、名前が重要そうな気がしています。
脱線ですが、プラニスフィアの歌詞の最初の方に「見上げた小さな光のひとつひとつに名前があると気づいたら」とありますし、周年曲『Resonance+』も「空に瞬くあの星が名前を持つように」で始まります。名前があることが、4周年目のシャニマスの一つのテーマにあるのではないかなというのは常々感じているところです。
そういえば「やまびこだー」がスクリプト無しに言われますが、やまびこという反響はresonance(共鳴)と関係してるんじゃないかって感じがしてしまいます。深読みがしたくなりますね。


grab your chance!

このコミュを通して、自分を高く評価してもらおうという意識と自分のなかの何かを見られたくないという意識を感じます。この二項対立は葛藤というよりもそこまで自覚されていない矛盾なのではないかと思っていて、いっぱいいっぱいゆえに自分を客観視できていない(平凡な)女の子に見えてしまいます。

めっちゃ可愛くやった「ah☆」を見てもらおうと必死で、自分を評価してもらわない訳にはいかない様子が感じられます。これはアイドルへの憧れなのか、一手に人々の承認を引き受ける存在への羨望なのか。

シャニPも再び困惑していて、最初はこんなものなのだろうかと、パフォーマンスをした直後に何かのコピーになることへの懸念を示しています。

個人的にSHHisは同音のseeds(種)やロゴなどから植物の発生がモチーフにあるのではないかと予想を立てているのですが、にちかの現状は発生が難航している状態と見ています。
つまり、自分という種があるのに、よその花を見て憧れて、それになろうと奮闘している。だから自分の育て方としては間違っている。という感じです。
(関連記事:SHHisを予想した記事が「こちら」です)

他方で、にちか本人としてはプロデューサーに最初に会ったときもそうですが、自分を押し売りしてみたり、ダンスを披露してみせたり、セルフプロデュースに自信を持っています。(朝コミュの中で、にちかが嬉しそうにセルフプロデュースという言葉を使っているものもありました)
それは夏葉がそうであったのとは別に、これまでの成果に裏打ちされていない自信であるがゆえに、僕としては不安を感じざるを得ないわけです。

(この危うい真剣さに難色を示すのがはづきさんで、大きな物語としてにちかの自分らしさを見出すもののほかに、姉妹に見られる態度の違いも待ち受けているのではないかと予想しておきます。)

また、ダンスを披露した後に続く「283プロ所属の、七草にちかでした」という名乗りも帰属集団による自分の権威づけと見ることもできそうで、にちか自身の無自覚な不安の現れであるかもしれません。

「焦らなくていいんだ」の選択肢では、にちかも「この感じ」ではダメなことを漠然と把握していることがわかります。それに対するどういう解決法があり得るかは、もう少し本人のことを見る必要がありそうです。

「楽しんでいこうな」だと、遊びじゃないんですよと切り返されます。雛菜と真逆の「仕事ならば必死に一生懸命にやらねばならない」という常識、それも前時代的になりつつある常識を感じます。七草家が貧窮した暮らしをしていたという話を踏まえると、労働を生存ならびに生そのものと直結させてしまう思考回路を感じます。貧困問題まで扱おうとしているのか……?
予習として読んでおいたフェミニズム系の著作『戦う姫、働く少女』にあった、仕事とアイデンティティーが同一化してしまうという問題を思い出しました。
(これについては簡潔にはまとめられないのでどこかで呟くかもです。)

「基礎をつけていこうな」だと、自分の考えに同調してもらえて喜んでいるように見えます。かなり主観的な印象ですが。直後、どのくらいでつきますかねと聞いてきているのは、時間的な期限を意識しているということでしょうか。

シーズン1合格時には他のアイドルならば、興味なさげなリアクションが目立つのですが、にちかは優勝のようなテンションで喜びます。そこにもやはりにちかがなにか切迫しているらしいことを感じてしまいます。

余談ですがはづきさんに「優勝」を強調されると、ノクチルに対して言った「優勝(なんて本当はどうでもいいんだ)」が思い出されます。
プロデューサーとはづきさんとの立場の違い、あるいははづきさん内部にある、普段はプロデューサー側にいる事務員の立場と姉としての立場の違いであるかもしれません。



なみ

伏線回収にあたる「八雲なみ」という伝説的アイドルの存在の開示がされます。冒頭で名前に引っかかっていたのは正しくリードされていたと見て良いかもしれません。
なお、20年前と言われると天井社長が脳裏にちらつきますが、今のところ言うことはないので控えておきます。

ここで少し気になるのは、にちかがレコード屋で何を見ていたか自分からは言わないというところです。これが先に述べた、バリアで感じたにちかが守ろうとしているものの正体かとも思ったのですが、せいぜい半分正解くらいかなと思います。
というのは、プロデューサーが知っていると答えると食い気味になみちゃんの宣伝をするため、徹底的に隠したいものというわけではないからです。なお、ここからも押し売り的な所作が読み取れます。
さて、半分正解といった合ってるかもしれないもう半分は、否定されたくないものとして考えた場合のことで、そうしてみると守りたいものという見方はアリなんじゃないかという見立てからです。

これ、難しいですね。
八雲なみは伝説的なアイドルで、そういったものに影響されることをプロデューサーとしては否定できないはずです。というのも、たしか灯織のファンが灯織に憧れてダンスの練習を始めたという話があって、それに喜んでいましたし、人が人に与える影響を否定してしまってはアイドルという仕事は根底から覆されてしまいます。
他方で、自分の核になっているものが一人の他人であり、信仰や崇拝といったものであることに、やはり危うさを感じないわけにはいきません。「なみちゃんのこと信じててよかったー」というセリフは空恐ろしいものを感じます。しかしそれがにちかの個性だと言われてしまえば、ある意味では正しいような気もします。

なんでしょうね。自分自身に関する重要な決定に限っては八雲なみという他人に全面的に依拠していることが自立してない印象を与えるんでしょうか。憧れは憧れとしてあり、自分はそこから離陸していくくらいの気概が身につけばいいのかもしれません。

それと一つ気になっているのは、知識という言葉遣いです。これまでもアイドルについての知識が豊富と言われたりしていて不思議がっていたのですが、ここにきて知識という語の用法にも信仰に近いものを感じています。にちかに当てはめて考えるならば「実践から少し距離をとったところで安定しているもの」という共通性を認めてもいいかもしれません。学校で習った知識なんて役に立たないんだよっ!みたいなやつです。
役に立たないことはないですが、実践に裏打ちされてようやく力になるのはそうだろうなと思います。にちかは当然ながらアイドルをはじめてやるわけですが、にもかかわらずアイドルがどうすべきなのかに精通している風な言動が多々見られており、知識や信仰が優位にあり、かつ日常世界に根ざしていない感じがします。

選択肢「上手いな」を選んでの感想ですが、自分が正しいことの根拠を知識やなみちゃんの凄さに委ねていそうです。根っこのところでは自立していない女の子という印象が強まってきました。

また選択肢全体として、どれを選んでも八雲なみに対するプロデューサーのコメントで終わります。にちかに重ねて悲しげな印象を抱いていますが、それはどれくらいにちかに対するコメントなのか微妙です。ほとんど純粋に八雲なみに対するコメントのようにも見えます。ちょっとわかりません。

ともかく、八雲なみの話をするとお姉ちゃん(に反対されてること)が関連づけられるので、姉妹や家族の事情が絡んできそうな匂いはします。
はづきさんの心情を汲み取りたい気持ちにもなってきますね。難易度が高そうですが。

また余談ですが、年齢差とはづきさんがにちかの将来に口を出していることから、はづきさんは母としての役割も担っていそうで、貧困に加えてフェミニズム的な関心(女性が社会の中で生きることで生じる役割における解消不可能な矛盾)はそこそこ読めそうだなぁというのは、やっぱり感じてしまいます。これはいくらか予習の影響です。

それから「ラッキーの時間は終わりですよね」について。事前にセリフだけ公表されていたものですが、文脈が公開されてみると妙なタイミングで挿入されている気がします。
知識や信仰に依拠しているにちかの発言として考えるならば、ラッキー(偶然)の頼りなさを身にしみて知っているということになるのでしょうか。今の状況が偶然に支えられていることの地盤の緩さに怯えているのか、偶然がここまで来させてくれたのと正反対に自分の周囲の環境を簡単に壊してしまうこともあり得ると知っているのか。

大風呂敷を広げます。
八雲なみは伝説的アイドルでいわば一つの神話です。にちかはその神話に帰依しており、なみちゃんを崇拝しているのですが、神話は往々にして崩れ去るものです。リーマンショックにおけるサブプライムローンへの神話、3.11における原発安全神話など、いずれも事故(偶然)により解体された神話です。去年一年もまさしく数々の常識が覆された年でした。
八雲なみを神話として完全に信じていると同時に怯えから逃れられないにちかの姿は、この年代にあるべくしてあるキャラクターなのかもしれません。大風呂敷おわり。


oh high

冒頭がなみちゃんの伝説の語り直しです。ここまでくると伝聞形式に語られる物語に神話や聖書らしさを感じます。

続くレッスンの場面ですが「全然やれます」の一言が印象的です。やはり何事かが差し迫っている必死さを感じるのですが、ここではそれとは別に自己中心さを今回は掘り下げられそうです。トレーナーさんの都合も忘れて自分勝手に練習を続けている様子が見られ、自己中心的に感じるのですが、これまでの話からは自己がほとんど無いように思われるのになぜ自己中心的になれるのだろうという違和感がありました。
これまでで崇拝とか信仰とか八雲なみを自分の地盤の代わりにしていたと明らかになりつつありますが、そういう外的な規定・規範によって自分の外堀を埋め、肝心の中身が詰まっていない人物像が描かれます。七草にちかをそのように読んでいると、自分がいないように思われます。他方で、レッスンでそれほどまでに必死になっていますから、周囲に流されるのとは別の自我のなさを感じます。

これを伝説・神話の生き直しと考えてみようかと思います。
八雲なみはにちかにとって、自分が依拠しているイデオロギーそのものです。(千雪さんにとってのアプリコットよりも深刻なものに思えます。)だからインタビューから再構築された伝説を生き直すことで、イデオロギーを自分の中で確固たるものとしているという見方です。

さらに、自分以外の人間にも共有される必要があり、(それゆえ共有してもらえないはづきさんとのあいだに不和が生じていると予想されるのですが、)そのためににちかがとっている戦略が資本主義的なのが気になります。
にちかは見てもらうために、審査員の評価を想定していますが、これはすべての物語に価値を付加して市場で扱えるような商品にするという資本主義的な考え方です。
にちかが依拠しているイデオロギーは八雲なみであると同時にそうしたタイプの資本主義でもあり、両者はおそらく重なるものです。

八雲なみによれば靴に自分を合わせるということで、先行して存在する役割に自分を合わせるというのは、工場での労働と同様です。工場で期待されるのは適切にパーツを組み合わせる役割で、自分自身の意志は期待されていません。そうした社会では役割に徹することが求められます。たとえ八雲なみにしかできない唯一無二の役割であってもそうです。そうすることではじめて市場で生きていくことができる。その意味で、にちかが崇拝している八雲なみは資本主義の奴隷とすら言えるわけです。
各選択肢の分岐先で八雲なみ神話の解体が予期されているのはそういうことでしょう。(八雲という数字入りの奇妙な苗字は、古事記で討伐された八岐大蛇の八とかけているんでしょうかね。)

ダウンロード (34)

伝説的アイドルとして売れた八雲なみに依拠する限りは、商品としての価値を失って見てもらえなくなる可能性と隣り合わせで、283プロのスタンスと正反対です。283プロは、自分らしさを発揮しながら自分たちを見つけてくれた人を大切にするという方針だと理解しています。イデオロギー大戦ですね。冷戦か。そうするとやはり「なぜにちかをプロデュースしようと思ったのか」という当初の困惑も当然に思えてきます。

にちかは伝説を生き直すことで、八雲なみを再生産しようとしますし、にちかにとってはそれは神話の出来事ではなく、まさしく今ここの現実ということになります。

ダウンロード (35)

ではそんなにちかとどう向き合っていくべきか。
彼女の大切にしている八雲なみを否定していくのは違います。シーズン終了コミュにはそうしたメッセージが込められていると思っていて、なみちゃんを好きだと思う気持ち、あの姿に魅了される気持ちは、紛れもなくにちかの心なんだというプロデューサーの思いを汲み取りたくなります。

そうした感情こそが育てていくべきにちかの種と考えていて、種を見つけたからプロデューサーは「今からもアイドルだ」と声をかけ、初めてにちかに対してアイドルという言葉を使ったのだと思います。
要するに、外堀を埋めて作られてきた空っぽの自己、まだ中身のほとんどない自己、それゆえ何者かになろうとして何者でもなくなってしまった自己をゆっくり育てていこうとするんじゃないだろうかと思うわけです。(しかし、wing編で薄桃色をやるやつがあるかよ……)

ところで、さきほどの続きのセリフがこちらになるのですが、

ダウンロード (36)

実は、シャニマスの今後のテーマとして「見つけてもらうこと」があると、ずっと言ってきておりまして、やはりなということを感じてます(自己満)。 これも最初はプラニスフィアの歌詞についての熟慮の末にたどり着いたことです。名曲……


may the music never end

八雲なみと社長との関係はさておくとして、ここでにちかにとって重要なのは、彼女のレコードが「そうだよ」から「そうなの?」に変わっていることです。

絶対的な正しさを示してきた神様的存在である八雲なみ自身による自己否定です。
それとともにプロデューサーの存在が重みを帯びてきます。

選択肢の先ではアイドルでいられるのが最後かもしれないことや未来を憂うにちかに対して、プロデューサーは最後やアイドルの意味を問い、最後ではないことを暗に陽に告げています。
にちかにとってみれば、神が失われつつある時に現れたのですから、神の代理ないし預言者ともなりかねない(下図に見るように、にちかはプロデューサーが預言者たることを期待していそうです)のですが、この新たな預言者はにちかの自律を促します。
絶対的に正しいことを示すことはしないが、人々には明かされない偶然性によって人を動かすような神の秩序は否定してくれる。そういう導き手としてプロデューサーは寄り添います。

ダウンロード (41)

プロデューサーが未来を告げてくれることを期待するにちか。
これに答えて「次もいける」と保証してくれるのですが、他人の人生を背負う覚悟が無いと絶対言えない言葉ですよね。かっこよすぎる。

ここでプロデューサーとにちかが話題にするアイドルとか最後とかっていうのは図式的に整理できるのではないかと思います。

にちかが最後であることに怯え、すがりついているアイドルとは「他者にそうあることを許された役割」です。それに対してプロデューサーが思うアイドルは「自分がそうありたいと願う存在」です。理想を追いかけているならいいと言われるように、理想は八雲なみとは別の自分なりの自分だけの理想であることになりそうです。
にちかはまだ、はづきさんに主導権を握られていますが、それははづきさんの立場的優位のゆえではなく、八雲なみに対する従属が染み付いているからです。にちかは八雲なみのようになる必要があり、その真似に徹することでアイドルという役割に従事することができるということです。

そしてまた、前節で確認したように八雲なみもまた市場に従属している存在なので自分の生き方を自分で責任をもって決めること、すなわち自律ができていない状態にあります。この従属の多層構造が「そうなの?」という神自身の言葉による自己否定やプロデューサーという導き手によって変化し始めている話だと読みました。



準決勝

準決勝直前では、予言をプロデューサーにお願いしています。

ダウンロード (42)

先ほどの預言とは漢字違いですが、いずれにせよ予言のお願いで終わっていたら、プロデューサーが新しい神に成り代わるだけです。しかし、可愛いと言うこともお願いされていて、この新たな願いはにちかから発せられて、にちかに返ってくる願いですから、自分の根拠を自分に戻しつつあることの現れと見たいところです。

それから、最初の第一印象のところで見ていた不器用な笑顔がここにきて重要な伏線回収となったのがたまげています。イラストの伝える力すごい……

それから準決勝勝利の瞬間なんですが……

ダウンロード (43)

神話解体の驚きではないですか?
自分が依拠していた物語を自分の手で崩してしまえたことへの驚嘆。
そこまで神話のモチーフ入れて読むのはやり過ぎ?

自分だけの輝きを放ち続けるアイドルであるためには、自分が何が好きで何が楽しくて何を大切に思っているかを尊重する必要があると思うんですが、要するに自分の感情をありのままに拾いあげてやることが重要で、喜んでいいんだぞというプロデューサーの言葉には、それがにちかの感情なんだぞって思いが込められているような気がします。

にちかの方は呆然としていますが、新たなモード(脱・八雲なみ と言うべきか)に順応していないからこその戸惑いなんじゃないかなと。


決勝

アイドルとして進み続けるとなれば、これから評価されるのは八雲なみではなく七草にちかです。ダウンロード (44)

それゆえに評価される恐怖が発生している。言ってしまえば、これまでのにちかは評価されることに対して、八雲なみを身代わりとしていたようなものです。それはPiCNiC BASKETのEXコミュで安易に商品化を提案していた態度にもつながるかと思います。

ダウンロード (45)

その恐怖を乗り越えていくものは、八雲なみという権威ではなく、八雲なみに憧れて努力した結晶「これまでにちかが作ってきたもの」です。激アツな展開じゃないですか……

決勝に挑む前、最後ににちかが残す言葉が「鏡見てきます」であることを噛み締めています。
おそらく、ようやく自分自身を見つめています。オーデイション後のTV出演では、全体的な雰囲気ではなくリップなどを見ていたのと比べると凄まじい変化です。


このあたりでかけている言葉ですが、最初に「283プロ所属の」と言っていたにちかとは別人であることを知っているプロデューサーだから言える言葉ですよね……。
思えば、なぜ平凡さを認めながらもプロデュースしようと思ったのかは、努力して自分を培っていける非凡な人間であることを直感的に理解したからかもしれないなと思いました。


そうだよ(決勝後)

決勝後の舞台裏
呼吸がおぼつかなくなり、苦しそうなにちか。感動的な場面をメタ的に読み込むのはどうかと思うんですが、これは誕生を意味しているんじゃないでしょうか?
地上に出て産声をあげることになぞらえて、呼吸を促される苦しそうな状態が表現されていて、「これでもう笑える」というのは世界へのそうした順応を経て生を謳歌する資格を獲得したという意味ではないでしょうか。


ダウンロード (49)

この後は、八雲なみと天井社長とのつながりが明示的になりましたが、にちかに関してはこれまで述べてきたことの確認に終始しそうです。

一つ特筆すべきなのは、夜景を眺めてセンチメンタルになっているにちかに対してかけたこの言葉です。

ダウンロード (50)

これまでの読解の延長で読むならば、ここでのにちかは神殺しを達成し、神の追悼を行なっている場面です。
プロデューサーはにちかが自律して幸せになる条件を整えることに尽力したことになるのですが、結果的に神殺しをそそのかした罪があります。八雲なみを乗り越えていくことで、自分の感情を尊重し、笑えるようにも泣けるようにもなったわけですが、神殺しを経ている以上、その涙は純粋な喜びとは思えません。

プロデューサーが感じているのは、人の人生を預かる人間が背負う重みなんだろうなと思います。

にちかはここにきてはじめて八雲なみを人間として見ています。本当は歌いたかったんじゃないかというのは人間に対する共感とか同情とか言われるべきものです。
にちかにとって八雲なみは神様ではなくなったけど人間ではあって、にちかのアイドルとしての新たな人生が始まっていく中に見える希望のようなものも感じたくなります。

蛇足かもですが、SHHisの曲が『OH MY GOD』であり、ライバル的存在がカミサマとして人気を獲得しているというマッピングになっていて、wingを経てにちかの神殺しが加わったかたちになったのかなというのも簡単に指摘しておきます。



追記

・御察しの通り、まだ決勝敗退コミュを見ていません。noteを投稿してツイッターに戻ったらみんなが騒いでいたのでビビり散らかしています。

・最後の神殺しと神の追悼として読んだ箇所ですが、そこで聴いていた「そうだよ」はさながらレクイエムです。しかし、悲しいから好きだったのかもしれないという気付きは、背中を押してもらう必要のなくなった今でもなお好きでいられる可能性を意味していて、ひいては人間のアイドルの力を認めることに繋がるのではないかと考えたりしました。
個人的な欲望まじりの直感的な理解ですが、決勝勝利後のタイトル「そうだよ」は、にちかから八雲なみへのメッセージとして読んでいます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?