見出し画像

〔シャニマス×植物〕 幽谷霧子

ノクチルのLPが来ましたね。
ほんの数ヶ月前にGRADが来たばかりなのに、という気もしないではないですが、実はその浅倉のGRADにひそかにトドメを刺されておりました。
「俺のシャニマスが終わった……」と自分のなかで大きな区切りがついてしまい、シャニマスで発狂することができなくなっていました。

そういうわけで一時は精力的に書いていた考察的な記事も勢いが衰え、どうしたもんかなぁとぐずついていたのですが、転機となったのも浅倉GRADでした。とはいっても衝撃のあまり初めて見て以来一度たりとも見返せていないのですが……。

GRADでは湿地の生態系がテーマとしてずっと背景にありました。
実は自分自身、幼少期からずっと自然が大好きでして、夏休みに祖父母の家に帰っては山を駆け回り自宅の庭いじりをし中高では登山をするような思春期を過ごしていました。とりわけ生物どうしが関係し合い一つの生態系が築きあげられる自然現象には感動を覚えずにはいられないという人間でした。
浅倉GRADによって太古の自分史が呼び覚まされたわけです。

それで何をしたかと言うと……


お庭ビオトープを作り始め、

ついでに、見つけたビオトープ管理士試験を受験し(結果待ちですがたぶん合格してるでしょう)

図鑑を入手して道端で出会った植物を同定したり、やたらめったら本を買ったり借りたりして勉強をするなどの日々を過ごしています。


アイマスやってると触発されて直接的には関係ないことに励むようになることがありますが、久々にこういう感じがきました。楽しいです。


それで本家本元シャニマスに帰ってくるのですが、推し◯◯っていうのあるじゃないですか。
推しカラーなり推し香水なり、自分の好きなキャラクターを彷彿とさせる対象を選びだして堪能する雅な遊び。
植物でできないかなと思いまして。

というか脳内で始まったら止まらなくなってしまったのが正直なところなのですが、何人分かは考えついていて「嗚呼、其はいよいよかの人を彷彿せし!」と一人ではしゃいでいるのですが、やはりこういうのは人と共有した方が楽しいので久々に記事を書いてみようと思い至りました。

というわけで、「シャニマス×植物」やっていこうと思います。


幽谷霧子さん!

283プロで植物に関連していそうなアイドルといえば、一人目に幽谷霧子を思い浮かべる人も多いのではないでしょうか?

初期のpSRである【伝・伝・心・音】の植物にやさしく寄り添うイラストなんかは象徴的です。

霧子が水やりをしていることは他のアイドルたちにとっても印象深いようで、ホームユニットの円香との会話なんかが個人的にはとても好きです。

円香:私も植物に水くらいやるけど
   ……手出し、しない方がいい?
霧子:ふふ……
   あげちゃいけない人は……
   いないよ……

植物とゆかりのあるアイドルといえば幽谷霧子みたいなところは、アイドルからしてみても我々目線でもけっこう根強いのではないかなと思います。植物に思い入れがあり丹念にお世話をする姿が印象的ですが、霧子自身を植物に重ねてみるならばどうなるか。

僕の答えはこちらです。

ニリンソウ(Anemone flaccida)
*画像はwikipediaからお借りしました。

霧子のことを考えたときに、真っ先に思い浮かんだのが「春植物」というタイプの植物でした。ニリンソウもその一種です。
春植物とは3〜6月頃のごく短期間に芽生えから開花までを一気に済ませてしまう植物で、その他の期間は球根などの栄養貯蓄の構造を地下に残し、葉も茎もすべて跡形もなく地上から姿を消します。
限られた時期にしか出会えない性質からか、春植物はスプリング・エフェメラル(春妖精)の異名を持ちます。

綺麗な花を咲かせることも春植物の魅力の一つではありますが、姿が見えなくても「ずっとここにいるよ」と教えてくれているみたいなところに霧子と重なる春植物の美しさを感じます。

このことから、たとえば【雨・雨・電・電】を思い出します。

雨宿りしている霧子が公衆電話からプロデューサーに電話をかけるだけの話が無性に泣けてしまう、不思議な魅力を備えた大好きなコミュです。電話を切って迎えに急ごうとしたプロデューサーを霧子が引き止めて、ほとんど言葉を交わさないままに通話を続けるのですが、そのことでかえってプロデューサーとのつながりが浮かび上がってくるようです。
ここで大事そうなのは、霧子が電話ボックスの中にいて世界から隔絶されているともとれることです。閉鎖的というのとはまったく別の意味で、霧子にはどこか触れられなさを感じさせるところがあり、そうした独特な雰囲気が土砂降りの雨に干渉されない空間の中にいることで上手く描かれているように思います。

さて、春植物も一年の大半の時期は土のなかに隔絶されています。土をほじくり返せば膨らんだ根を見つけられるでしょうが、それは次の春に芽を出すためにじっとしている根っこですから、日のもとにあばくことはそうした意味ごと取り上げることになってしまいそうです。自然な姿を把握し損ねている、とも言えるかもしれません。となると土の中にいたままの状態で「そこにいる」ということを感じてあげるのが、その子らしさを尊重して向き合うことなのかもしれない。そのように考えるとき、自分としては電話ボックスの中の霧子と重なってきてしまうわけです。


春植物の生きる場所

すぐ地中に隠れてしまうというのは、実は春植物の優れた生存戦略です。
森林内において下草たちは日光をめぐる激しい競争におかれています。急速に成長して高い位置をとるのもひとつの戦略ですし、スタートダッシュをきめて光をもらうのも手です。下草ではないですが陰樹のように呼吸量を抑えることで光合成が弱くてもゆっくり成長していけるようにした適応もあります。
困難は花をつけることにあります。交配するために必要不可欠ではありますが、花をつけるために大量の養分が必要です。花のために植物の生存にとって必要最低限以上の栄養を確保しなければならず、かといってがっつり光を得るために茎葉を思い切り伸ばしたら呼吸による浪費が激しくなるリスクがあります。
春植物のとった戦略はこうです。暖かくなってきた春先の落葉樹が新しい葉をつける前、まだ林床で受け取れる潤沢な光が多い時期に一気に茎葉を伸ばします。全力の光合成でありったけの養分を産生して成長するとともに地中に蓄え、その養分を「翌年以降に」持ち越し、樹林が葉を出して林床が陰ってきたら地中の栄養体のみになり、時がきたらまた短い期間のうちに茎葉を伸ばして開花まで持っていくというものです。未来のために最初の7〜8年は貯蓄にまわすという潔さ。驚きです。

こういう生存戦略を見ると(春植物に限らずですが)葉は花を咲かせるためにあるんだなと気づかされます。
有栖川夏葉のソロ曲 Damascus Cocktailの「花は枝葉が咲かせることを見せてあげるわ」という歌詞がそのことを力強く教えてくれています。僕はこの歌詞が特に好きでして、聴くたびに「夏葉」という名前を想いを馳せては打ち震えています。ちょっとした脱線でした。

さて、春植物は以上のような戦略をとっていますから、潤沢な光を浴びる期間が必要です。一年中葉が生い茂っていてずっと林床が暗い常緑樹林では生きていけませんから、春植物は落葉樹林にのみ見られます。
ところで植生を決める一番の条件は気候です。寒ければ広葉樹ではなく落葉樹が最終的にその場を占めますし、もっと寒ければ針葉樹林となります。逆に暖かければ広葉樹林で安定します。

関東地方の気候条件的には広葉樹林が広がることになるのですが、実は春植物は関東でも普通に見られます。気候条件に反して、落葉樹林が展開されているということです。これはなぜかというと、人の手が加わってきたからです。
僕としてはここに人と自然との共生の美を見たくなります。『もののけ姫』にあるような原生林の荘厳さには圧倒されるものがあり、個人的にかなり好きな森林ではあるのですが、いわば人間に汚染されていない森ですから、人との共生とは遠いとも言えます。反対に、里山などは生物資源の利用と育成がうまく循環しているというイメージが強く、里山を模範にして環境回復をしようという試みもなされています。現代の環境保全の一つの理想形とも言えます。しかし、里山的な生活環境を現代のライフスタイルとは調和させることに大きな課題があり、なお困ったことに最近では里山を美化しすぎているのではないかという指摘もあるようです。かつての里山は本当にうまく共生できていたのかという疑問があるようです。このように人と自然との共生は、困難と思われている以上に困難なのではないかということを最近よく考えています。

だからこそ林業の利用が落葉樹の世代交代を助け環境を保存し続けた結果として、当たり前のように春植物が毎年芽吹くという事実に類稀なるものを感じとってしまいます。人間の営みが際どくもぴったりと自然の営みと重なっていて「共生」を体現しているのではないかと(期待をこめつつ)思うわけです。

そうしてみると春植物とは、表に出るのが珍しいという意味だけでなく、守られて育っているという点でも儚く尊い存在であると言えそうです。
そしてこれが、個人的には霧子と重ねてしまういくつか目のポイントです。
霧子の誕生日のとき三峰が「うちの末っ子」と言って可愛がっていたのを一番に思い出します。また【デタラメハッシュタグ】でも、メンバーからのツーショットの打診を適当にあしらっていた摩美々が、霧子にだけは自分から「撮るー?」と言い寄っていたのも霧子への愛情あふれる一場面です。
挙げだしたらきりがないくらいに、霧子は大切に守られており、そのことによって周りもまた助けられているという不思議な関係性があるような気がしています。

霧子を守るということは、霧子を守りたい我々全員にとって大切なものを守ることのように感じています。
春植物を守ろうとすることは森林環境全体を守ることにつながりますから、ここらへんの事情を重ねてしまうのかもしれません。姿が見えない時期の方が圧倒的に長いものですから、ぱっと見では大切さを気づけないけれど全てにつながる大切な存在である、といった特徴が霧子に重なりそうです。
(今更ながら霧子のことを姿の見えづらい存在として理解するのは賛否両論ある気がしました。個人的には記憶喪失気味に始まるWING冒頭のイメージが強いのに引っ張られているかもしれません。また他の子に比べても「霧子ならこう言いそう」というのが浮かびにくいことから、把握から逃れる透明感を感じとっているのかもしれません。)


春植物、たくさん。

さて、これまで色々と春植物について御託を並べてきたのですが、実は【琴・禽・空・華】のコミュの中で出てくるフクジュソウも春植物に数え入れられます。春植物の特徴を踏まえて見返してみると受け取り方が変わってくるかもしれません。
それからシャニマスに馴染みの深い名前であるアマナもまた春植物です。(ちなみにユリ科です。)

他にも春植物は種類がたくさんあるなかで、どうしてニリンソウを選んだかと言えば、これもうほとんど趣味です。なけなしの理由を挙げるとすれば……

・葉っぱがおててみたいな形をしていて心を包み込んでくれるかのような印象を抱かせるから。
・文字通り一輪だけ咲かせるイチリンソウとは異なりニリンソウは2〜3輪咲かせるが、蓄えてきた養分が隣り合う姿で成就されることに霧子らしさを感じ取ったから。

くらいでしょうか。
ちょっとした裏話なんですが、薄紫色の花をしたのが雰囲気あるかなと思い、ヤマエンゴサクと迷いました。ヤマエンゴサクは薬効もあり生薬にも使われるとのことで最後まで悩んだのですが、小さくて可愛らしいニリンソウの花も似合う気がしてこちらにしました。花弁も5枚ですし。


ということで、僕が思う幽谷霧子らしい植物は「ニリンソウ」でした。
もちろん強弁するつもりのない解釈の一つに過ぎません。そもそも解釈というよりは植物とからめてシャニマスを話したい願望のあらわれと言った方がいいくらいです。願望が今回で満たされていなかった場合、続編を書くかもしれません。


ところで余談なのですが、実は【綿毛ノ想】で恋鐘が「たんぽぽは霧子に似とるね……」と言っていました。ニリンソウを考えついてから見つけたのであれれと思っていたのですが、直後に霧子の方から「恋鐘ちゃんは……春に似てる……」と言っていてガッツポーズをきめてしまいました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?