わたしの世界を旅する-コーカサス発トルコ経由南欧行(2)
6月17日:朝は少し南の方へ散歩をした。とても暑かった。坂を上り、眺めのいい丘の上から階段を下った。住宅街の半地下のパン屋で買ったパンは、パイ生地の中にカレー粉みたいなものが入っていた。異国人の視線にも早くも慣れてきたみたいだった。
旧市街自体は入場が無料だった。結局有名なモスクや美術館には入らなかった。今思うと、なぜ行かなかったのか分からない。この旅であといくつの世界遺産を観ることになるかなと考えた。
昨日と同じ旧市街の外壁の外で座っていると、話しかけてくる男がいた。あれ、あったことがありますか?と聞いてしまったが、昨日しきりに話しかけてきた、自分の下のベッドのパキスタン人だった。紫と赤の少し光沢のある高級そうなチェックシャツに髪をオールバックに固めていた。彼の名前はAliと言った。パキスタンの医者の息子で本人も外科医をしていると言った。今は旅行中で、これからいとこのいるマレーシアに行き、ゆくゆくは日本でも病院に研修医として受け入れてもらう、そんなことを言っていた。彼と話をしながら、カスピ海とそのほとりのショッピングセンターを歩いた。
宿に着く前に彼は、昼ご飯をマックで食べたいんだが今お金がない、親にたのめばすぐに振り込んでもらえるので後で返すから5マナトだけ貸してほしいと言った。今日この街を離れることが伝わっていなかったみたいだった。お金を貸して宿に戻ると、主人に、チェックアウトの12時を大幅に過ぎているので今すぐ出ていかないともう一泊分とるぞと言われ、荷造りも途中のまま外に出た。宿の前で荷造りをしていると、Aliが戻ってきて、今日帰るのかと驚いた表情をした。肩を抱いて、FacebookとWhatsAppを交換して別れた。
以降、折に触れて連絡が来るようになったが、あの時撮った写真はいつくれるんだ、と言った内容がほとんどだった。結局日本にも行かなかったみたいで、パキスタンに戻っていったから、その辺りは本当のことだったのかはよくわからないままだった。一眼レフで撮った写真は帰国してPCに移さないと送れないと何回もメッセージしたのに定期的に催促が来た。iPod Touchで撮った画素の低すぎる写真が運よくあったのでそれを送ると、喜んでくれてFacebookにアップしていた。それ以降連絡は取っていない。
駅に戻り、軽食をとって、行きに使った同じバスで空港に戻った。バクー。何もしていないけれど、旅の最初にはふさわしい街だった。バスから見る、均質なマンション群に西日が当たる光景はいつかの夢に出てきた感じがあった。
トビリシの空港に着いたのは夜も遅かった。疲れてもいたのでタクシーで宿まで向かってしまおうと思った。タクシー運転手が次々と声をかけてきた。ATMやインフォメーションまでしつこく着いてきたので、観念して値段を聞くと100リラだという。今引き落とした全額が100リラだったのでその値段水準はおかしかった。立ち去ろうとするとオフィシャルは100だが、90でいいという。 ”Airport Taxi”という服を着ているのに、ぼったくるつもりなのだった。しかし他の公共交通機関もなかったので、60リラで妥結したが、ずいぶんとそれでも高かったので後悔した。諦めてヒュンダイの自動車に乗り込んだ。
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