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「無限責任」を思うまでは悪くない

 そういえば昨日のキャスでは、上のツイートをちょっと補足するような話をした。

(※録画視聴パスは3月1日の記事もしくはマガジンより取得できます。)

「線を引く」ことについて、「そもそも自分は線など引いたことがないし、だからそんなことが平気でできる悪者たちの気持ちもわからない」といったスタンスで語る人たちもいるけれど、その種の厚顔無恥な方々に対して「あなただって『線を引く側』の一人なのですよ」と指摘することには、一定の意味があると思う。

 ただ、そこから思考を「中途半端に」進めて、「その仕方が具体的にいかなるものであれ、既に線を引いている以上、その行為に質的な差は存在しない」ということまで主張するようになってしまうと、それは事実判断を装った価値判断の言明となり、正しくもなければ美しくもない「現実」教のクリシェに堕してしまうので、私はあまりこれに同調したいとは思わない。

 冒頭に引いたツイートにもあるとおり、ラーメンと焼鳥が「食べ物という点では同じ」であることは決して「嘘」ではないけれど、それらが別の基準から見れば「違う」ということも、同時に端的な事実にほかならない。この場合に、前者の事実だけを「現実」であるとみなして、後者の事実を述べることは「欺瞞」であると糾弾するのは、その実態としては事実判断を装って価値判断を開陳することなのであって、そのことを自覚にもたらすことができないのは、「現実」教徒の人々の特有のヴェールによるところだと思う。

 その種の人たちが、自身を高潔に保ちたいと願うあまりに、「責任倫理」を放棄して、専ら「心情倫理」を語ることに終始するに至ってしまうことの機序については、上掲の過去エントリに詳述したところだから、ここでは敢えて繰り返さない。

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