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ユー、早く認めちゃいなよ

 最近のツイッターなど一部のSNS界隈では、「リベラル」という言葉が従来の「ネトウヨ」のような「論敵に対してとりあえず貼り付けるレッテル」のような形で機能させられている現象があるようで、なんだか面白いなあと思いながら眺めている。

 たとえば上掲の書籍において、「リベラリズム」というのは、

 要するにリベラリズムとは「他人に迷惑や危害をあたえないかぎり、たとえその行為が他人にとって不愉快なものであったとしても、社会は各人の自由を制限してはならない」という哲学的原理のことである。

 と規定されており、そのようなリベラリズムを標榜するのがリベラル(リベラリスト)であるのだとすれば、たとえば表現規制などには極力反対するのがリベラルであるということになるだろう。しかし、一部界隈では表現規制に反対する人たちが、論敵を「リベラル」と名指しながら攻撃していることが非常に多く見られるというのはご案内のとおりであって、このあたりは個人的には実に興味深く感じられるところである。

 これがとくに「ネトウヨ」の用法と似ているなあと思われるのは、そこで(完全に揶揄として)使われている「リベラル」という呼称が、必ずしも相手方の自称ではない場合がしばしば見られる点である。つまり私の視点からは、明らかに(上記の意味での)リベラリズムの原理に即して論敵を攻撃している人たちが、とくに自らそう名乗っているわけでもない相手方を「リベラル」と呼んで非難している例がしょっちゅう見られることになるわけで、このあたりも面白いなあと、つい思われてしまうわけだ。

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