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まだ来ていないBuddhist Modernity

 仏アレさんの読書会に触発されて “Why I am not a Buddhist”を読んでいるのだが、これが実に面白い。

 何が(私にとって)面白かったかというと、まず本書においては、藤田一照師が言うところの「実践する仏教」が日本の一般層にも広く普及すれば、必ず問題とされることになるだろうと、私がかつて予測していた内容と大きく重なる諸テーマが、正面から論じられていたところである。こうした問題意識(それはいわゆる「二、三周まわったところ」で、はじめて出てくるような種類のものだ)がまとまった書物の形で提示され、それに対する広汎な反応も期待できるということが示すのは、少なくともアメリカにおいては「実践する仏教」のコミュニティが質的にも量的にもたいへんな成熟を遂げているということであろう。もちろん、そのこと自体は既によく知られている事情だけれど、それを改めてこういう形で裏付けられると、かつてこうした問題こそを人生の関心の中心としてきた身としては、やはり感慨深いものがある。

 ただ、日本においては上掲の仏アレさんの動画でも示唆されているとおり、“Why I am not a Buddhist”で論じられているような問題が広く「界隈」でリアルかつ切実なものとして捉えられるようになるまでには、まだもう少し時間がかかるであろうと思われる。日本は「仏教国」であるとも言われるし、学問や宗門における知見や伝統の蓄積には当然ながら素晴らしいものがあるのだけど、「実践する仏教」に関する上述のような問題意識の発展(それが「問題」とされるような文脈の形成)のためには、そのような恵まれた環境こそが、一方ではある種の「重し」として、機能しているところもある(あった)かもしれない。

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