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哲学とは、奴隷の境遇に甘んじないための道具である

 昨日のエントリでは、哲学的・抽象的な思考を訓練する意義について述べたけれども、それでもやはり、「そんなことがなぜ必要なのかわからない」と感じられた方々もいるであろう。そこで、今回はこの点について、もう少し説明を補ってみたい。実際のところ、哲学的・抽象的な思考の欠如というのは、私がいつも述べている「現実教」(≠事実に立脚した理性的な態度)の問題点そのものでもある。


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