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「反応」のない「受容」

 沼田牧師とのツイキャス対談では、「自身の苦しみを文字にして書くことで、それを目にした本人の中で傷が固定化・強化され、結果としてはさらに苦しみを増すことになる」という事態についても語られたけれども、たしかにこういうことは実際にあることだと思う。

 これは「テクスト化」にまつわる問題ではないが、同様の機微は瞑想に関しても存在していて、それについてはウィパッサナーにおける「マインドフルネス」と「(日常用語としての)意識すること」とのあいだの微妙な差異をテーマとしつつ、上掲の過去エントリで述べておいた。

 自分の苦しみを言葉にして表現し、言わば「外化」することが、それを癒やすための方策としてしばしば有効であるというのは当然のことである。ただ、そうした癒やしの効果が生じるためには、その外化された苦しみを(他人が、というよりも)自分がどのように再認識するかということが決定的に重要で、単に他人にとって効果があったらしい振る舞いを外形的になぞっても、同じ効果は期待できないというか、場合によってはむしろ悪化してしまうこともあるというのが、この問題の難しいところだ。

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