壊れかけているのは「成熟」の可能性の条件である
「成熟」という言葉が久しぶりにTLを飛び交っていて、私も数年前にはずいぶんこの概念について意見を言っていたことを思い出して懐かしい気分になってしまった。
こうした過去の発言を見るに、私は「成熟」の概念というか、この言葉の一部界隈での用いられ方を、たいへん嫌悪していたようである。もちろん、いまでもそれが私にとって好ましくないという事情に変わりはないのだが、現在では「成熟」概念をナイーヴに振りかざしている人をたまに見かけることがあっても、それによってとくに感情を動かされるようなことはなくなってしまった。これは私の年齢的な問題でも当然あり得るだろうが、おそらくはそれよりも、そもそも「成熟」という言葉が人に与える影響力や説得力、即ち、この用語や概念が有する強度が、ここ数年でかなり薄まってしまったことによるのではないかと思う。
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