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sunoko_soji
賢くて誠実だからこそ、「役に立つ」の杜撰な議論には乗らない人もいる
私は木簡研究なんて、古代の制度やその運用、ひいては我々の祖先の思考様式の理解のために直接に資するものなのだから、むしろ相当に「役に立つ」ほうの学問だろうと思うのだけど、その程度の説明さえ放棄して、「役に立つとかはどうでもいい(だが金は出せ)」的なことを言うのはいただけないタピね🐱
— ニー仏 (@neetbuddhist) December 26, 2022
「人文学」の中でもいわゆる文献学を専門とする人たちは、ぐちゃぐちゃの手書きのテクストを校訂するところからはじめて、それを読解して翻訳して辞書作ったりしてくれてるんで、わりと役に立ってるんだけど、そのあたりが学者の怠慢で一般に知られてないのは残念なことです🐈⬛https://t.co/SyOtI8BzB5
— ニー仏 (@neetbuddhist) December 26, 2022
そもそもこの話は木簡を実際に研究している人たちがはじめたわけではないらしいので、いちばんのとばっちりを受けたのは、真面目な木簡研究者の方々である。とてもかわいそう。
テクストの読解を主たる営みとするタイプの「人文学」の意義については上掲の過去エントリで詳述してあるから、そのことについてここで再説するのはやめておこう。本稿では、冒頭に引いたツイートでも少しふれている、「人文学」と「役に立つ」ということとの関係について補足してみたい。
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