![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/68276624/rectangle_large_type_2_309c592dada899d439e5a7ebb8d37a3f.jpeg?width=800)
Photo by
seikoo
「嫌々ながらやること」が、私を自由に近づける
まあ「立場や年齢をわきまえろ」的なことを他人に言いたがる人は多いけれども、それってだいたい「おまえは私が都合よく搾取できるような地位に留まり続けろ」という意味だからね。みんな好きなことしたほうがいいよ。ただし、傾向性に従うことだけが「好きなこと」だと思っているなら要注意だけどね🐈⬛
— ニー仏 (@neetbuddhist) December 20, 2021
私はしばしばこんなふうに、「みんな好きなことをやったらいいよ」といったことを公に述べるのだが、とはいえそうすると、単に傾向性の衝動に引き回されているに過ぎない自身の生き方が肯定されているのだと思いなして、他責・他罰が習い性になっている人たちが喜んでしまうという現象も、毎回のように観察していた。そのたびに、「そういう話じゃないんだけどなあ……」と思ってはいたのだが、このあたりはまさに「もにょもにょ」した問題なので、SNS上でさらに深く説明することも難しかったから、それ以上のことは何もいわないで済ませてきたわけである。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?