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「この身心」に貸し手はいない

 前回、前々回と、「(身心の)健康に気をつけていけ」系の話を積極的にするエントリを出したわけだが、実際のところ私自身は健康がそれ自体として目的となると考えるタイプの人間ではない。もちろん健康であることは大切だし、そう思うからこそ健全な身心の維持の重要性や、その実現のための方法を語ったりもするわけだが、とはいえ健康というのはそれを確保した上で何かをするためのいわば「環境」の整備なのであって、それだけを自己目的化してしまっても仕方ないだろうと、常々考えてもいるわけである。

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