待つということ
以前友人に言われてとても腑に落ちた一言がある。
「お前、待つとか、気を伺うとか出来ないよね」
言われた時笑ってしまう程「その通り!」と思った。人間何か言い当てられると笑ってしまうらしい。
今週に入り少し事が動いており、私は何かと先走って動いている。そんな自分を少し客観視してみたら、「あー先走ってるわ。待てないクセ出てるわ。」と感じられたので、自分にとっての「待つ」ということについて考えてみた。
そもそも友人がなぜ私のことを「待てない。気を伺うとか出来ない」と思ったのかというと、私が仕事を辞めた時や、引っ越しをした時などのエピソードから感じたらしい。
私はトレーナーと、広告代理店と2回職を辞めているのだが、どちらも次が決まった状態で辞めた訳ではない。順番でいうと、
①退職を申し出る。
②次の職場探しをする。
③ニートになる。
みたいな感じだ。こうなるのには、「退職するまでの期間で次決まるだろ♪」と「辞める事を早く決定させたい」という2つの気持ちがあるからだと思う。「辞めることを早く決定させたい」というのは「今だ!と感じた直感を大事にしたいし、決まるまでダラダラと過ごしてチャンスを逃したくない」という気持ちを合わさってそうなっている。でもあの時辞めなければ、今頃実家でニートなんてしなくても良かったのかもしれない。
引越しの時も、私が地元の広告代理店に勤めて1ヶ月程実家から車で通ったが、片道1時間の通勤時間が嫌で引っ越した。思い返せばあの時から長く勤めるつもりも無かったし、都会の電車通勤より車で1時間通勤の方がストレス無かったので絶対に耐えられたのに引っ越してしまった。もしあの時引っ越していなければ、財政的にかなり余裕だったのにと悔やまれる。しかし仕事を辞めたのも、焦って引っ越したのも、どちらもやったからこそ見えた景色もあったので、今後の成功への礎に出来る様にしようと思っている。少しここでの意味合いは違うけど“connecting the dots”とか、“遠回りしたからこそ綺麗な景色が見えた”とかそんな感じだ。
とまぁこれらのエピソードから私は「待てない」という事になった。私自身もこれらのエピソード以外からも「待てないな」と感じる部分はあるので当たっていると思う。
では「なぜ待てないのか」理由はこんな感じだ。
・恋愛の告白とか採用面接とか悩んだところで答えは変わらないと思うので直感を信じてさっさと返答を出して欲しい。(自分は今まで直感で事を選んできたから)
・もし、「No」だった時、それまで待った時間が勿体ない。
昨日まとめた本質的に捉えて見ると、恐らく「時間が勿体ない」って理由がそうなんだと思う。仕事を辞めようと思っているのにダラダラしているのも、無駄に悩んだりしているのも「時間の使い方が勿体無くて、NoだったらNoですぐ言ってもらえれば次に向けてアクションを取れるのに」と思ってしまう。でも、待てないとめんどくさい事や損をする事もあるので、改善方法も考えた。単純だけれど、
“もしも「No」だった時にどのようなアクションをするか、「Yes」だったらどの様なアクションをするか考えてまとめておく。”
という感じだ。でも書いていて思ったがやっぱりこれも根本的に違うと思う。なぜならどのアクションを起こすかは結構すぐ組み立てられるし、そもそもこれまでもそれはやってた。
ではなぜ待てないのか?
それは多分、“何もしてない時間が耐えられない”のだと思う。Huluを見てる時も、YouTube見てる時も、これは「見る」というアクションを起こしていて価値を感じられるけれど、「返答を待つ時間」、「次を見つけるまでダラダラ働く時間」「通勤の1時間」これらには価値を感じられないのだ。ならそこに、
「価値を見出す」のか「今まで通り」なのか
が取れる選択肢なのだと思う。
私は私らしさを認めたいし、「こんな自分嫌だ」と否定していちいちネガティブになりたくない。「待てない自分も自分だ。可愛いやつだ。」と思ってやっていく方が、待てなくてめんどくさい事になっても感情がスッキリする。なので私は今後も「待てない男」として自分を愛してやっていきたいと思う。