『万引き家族』の本当のテーマはあなたが思っているのと真逆かもしれない

※この記事は映画『万引き家族』の内容について触れられています。

少し前の話ですが、タイトルが気になっていた『万引き家族』がアマゾンプライムで視聴可能だったので何となくひまつぶしで視聴しました。
上映時に話題になっていたし賞も取っていたらしいので、きっと面白いんだろうくらいの感覚でしたが、見てみると正直イマイチに感じて、途中からはスマホをポチポチしながら流し見になっていました。
結局そのせいでラストシーンは意味がわからないまま終わってしまいました。流石に意味がわからなすぎたので何箇所か戻して見返していたら、突然あることに気がついたのです。
「あれっ、この映画って俺が思っていたような話ではなかったんじゃないか?」と

「思っていたような話」というのは、「万引き家族は本当の血縁ではない疑似家族だけど、現代の日本が忘れてしまった心の絆で繋がっている」という物語です。
そう思ってしまったのは割と最初の方に露骨にそんな感じの描写があるからなんです。
仲の冷え切った両親に育児放棄されている迷子の女の子を「万引き家族」が引き取って養女として家族に迎え入れる。この子にとってはそっちのほうが幸せに違いないというような。
そのシーンを見たときに「犯罪で生計を立ててるようなやつが何を言ってるんだかなあ」という気になったわけです。より悪い人を出すことで相対的に主人公達の悪行を正当化する、しょうもない話かと。
ところが実はそれは映画のテーマではなく、万引きやその他の犯罪行為によって生計を立てている主人公たちが自分たちをマシな人間だと正当化するために作り上げ信じ込んでいる物語でしかなかったのです。そのことは実は映画のクライマックスシーンで明らかになります。

万引き家族の息子(この子も拾い子)は父親から万引きを仕込まれて育ちました。父親から言われるがままに万引きをしつつも、息子はそれが悪いことだと気づいています。そして、悪いことをしたくないと言う気持ちと、その一方で万引きを拒否することは育ててくれた父親を否定することになるという気持ちの狭間で彼は葛藤し、苦しむようになります。「これは悪いことではないのか?僕はやりたくない」と問いただそうとしても父親ははぐらかすばかりでまともに答えてくれず、それどころか新しく拾ってきた幼い女の子とも協力して万引きをするよう指示をします。
これまでは黙って父親に従っていた彼でしたが、まだ善悪の分別を持たない義理の妹に悪事を働かせることに耐えきれず、結果として万引きに失敗し補導されてしまいます。
長男が補導されたことを知った万引き家族はどうしたのか。
ここがこの作品のクライマックスシーンです。
彼らが取った行動は、彼を見捨てて夜逃げすることでした。
警察や行政の手が回ってしまえば彼らのしてきたことが露見し、捕まることになるからです。

「いざというときにどういう行動を取るか」
それが本質だというのが物語における不文律です。
普段は頼りない主人公がいざというときには仲間のために危険を顧みず体を張ったりというように。
ところが万引き家族は長男が捕まったと聞いて、まず第一に自分の身を心配して逃げだした。
それが血縁では繋がっていなくても心の絆で繋がっているはずの万引き家族の正体だったのです。
そんな救いのない、悲惨で、残酷な結末がこの映画のテーマであり、決して薄っぺらい理屈や人情で犯罪を肯定するような作品では無かったのです。

万引き家族のレビューを見るとそれに気づいていない人がかなり多いことがわかります。
「現代社会が失った家族の絆を描いたいい話だった。」
「心無い大人たちの歪んだ正義によって解体されてしまった悲しいラスト」
あるいは、「子供に万引きさせているような家族をいい話として描こうとするのが気持ち悪い」と言ったような。

私も実際最初はそういう話だと勘違いしたまま一度見終わってしまったわけですが、そう思い込んだままにしておくのは単純にもったいないと思います。

そう思ってしまっていた人は、果たしてどちらの解釈が正しいのか。もう一度見直してみてはどうでしょうか。もしかするとどちらでもない、また別の解釈がみえてくるかもしれません。

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