地獄から帰還した話

どーもっ!
佐々木労働基準法です!変な名前!!

6月もう20日ってまじ??まだ感覚5月なんですが、クソ暑い日が増えたこと思うと夏に近づいているんだなぁって感じます。
今年はどんな夏になるのかな。

さてさて、私は6月初めから2週間地獄に行っておりました。

そう、教育実習です。

6月に入った感覚がないのも実習のせいかもしれない。

端的にいうとね、はい、地獄でした。そして私は教員になれないしならないなぁってことを決めました。

もともと教員にはなりたいなぁって思ってはいました。人に何かを教えるのは好きだし、それなりに勉強はできたし、塾講師とかの経験もあるしでいいんじゃないかな〜程度に感じていたんです。
大学に入って教職課程を履修するも在学中家庭のゴタゴタとかがあって結局教職は諦めました。その後一般企業に就職したものの、クソみたいな人間関係にぶち当たり、そこから逃げるために再び通信大学へ通い始めました。
この時点では逃げのために選んだものの、やっぱ教員になりたいなぁって気持ちはあったんだろうと思います。

スイミングスクールでスイミングを教えつつ、中学生に陸上競技を教えつつ、教員免許取得を目指しひたすらに勉強していました。しかし昨年末、いっぱいいっぱいになってしまい精神ぶっ壊し。色々休まざるを得なくなりました。

そこで自分と向き合う時間がたくさんできて、本当に教員になりたいのだろうかっていう疑念みたいなものが浮かび始めたんですね。
たった数10人のスイミングのクラスですらまともにまとめることのできない自分が学校の30〜40人のクラスをまとめることが果たしてできるんだろうか、とか、この程度でへばってしまう自分が本当に教員になってメンタルも身体も持つのだろうか、とかね。
自分に自信がなくなって、このままでは教員になるのは無理なんだろうなぁと思いながら日々を過ごしていきました。

そして迎えた教育実習。
1週間前にトライアスロンのレースで優勝して、とても嬉しかった。でもそれが自信にはつながらなかった。前回の記事にも書きましたが、自信が全てのモチベーションになるわけではないんです。
前日になっても腹を括ることができず、当日は頭を抱えながら出勤しました。

配属されたクラスは3年生、担当する授業は3年生の日本史。そして指導教員は高3の時のそんなに好きじゃなかった担任の先生でした。受験にも影響する責任重大なポジションです。なんでこんなにプレッシャーかけるんだ。
そしてなんと初日から授業。

気 が 狂 っ て い る 。

大学の先生曰く、「普通」は初日から授業をさせるなんていう無茶振りはさせないという。
準備はしていたものの、案の定ボロボロでその時間は終わりました。なんでこんな無茶振りさせたんだw
そして終わってから浴びせられるダメ出しという名の指導。初日でうまくできるわけねーだろと思いながら「展開が下手」だとか、「一方的な授業になりすぎ」だとか、「黒板の使い方がなってない」とか多くのご指摘(怒)をいただきました。

初日からボロカスに言われ、私のメンタルは早くもこんな状態で2週間乗り切ることができるのか?というまでに追い込まれました。
死ぬの早すぎるって思うやろ?同じ状況に立たされたらわかるって。

2日目も3日目も同じように一人で授業をすることを決められ、2週間で合計28コマの授業を1人で担当しました。
そして授業が終わるたびにダメ出しの嵐。褒め10秒、ダメ出し30分とかいうアンバランスすぎる指導を毎日毎授業終わり受けました。ダメ出しは毎回あるけど、褒めはない時の方が当たり前に多い。
それを受け、夜遅くまで授業の構成を考え、遅い日には21時過ぎに学校を出るという過酷な生活をしていました。1日だけ早く帰れた日があったかな。18時半くらいだったので、平均20時に学校出ていたこと考えるとかなり早いです(感覚麻痺)。

考え、挑戦して、でもうまくいかなかったら「お前のやっていることはただの自己満足」と言われ、安泰に走ると「お前は逃げている」と言われ、追い込むことがあんたの生きがいなんか?と思うほどの言われようでした。

それだけ指導教員の先生も必死になってくれてたってことなんだろうけどさ。悪いけど私は高校の時からあなたのことが好きではなかったよ。「生徒中心で考えろ」っていうくせに、私はあなたに進路を否定されたことをずっと忘れていないからね。
「お前には無理」と挑戦しようとした私を否定したこと、ずっと忘れていないからね。


それでも乗り切ることができたのは、子供達が本当にいい子達だったからです。
他の実習生よりも年上だし、通信大学だし、キャリアも全く違う私をクラスの子どもたちは暖かく迎えてくれました。指導教員は酷すぎたけど、担当クラスの担任だった先生は本当に優しい先生で、それが救いでした。

ただもうあの地獄にはいきたくない。そうひしひしと感じました。
教員の成り手不足が深刻視されているけれど、現場の教員がこうやって教員の成り手を潰しているんちゃうかと思わざるを得ませんでした。
まぁここで地獄を見ておかないといざ教員になった時耐えられないよってことなんだろうけど、母数を減らしてしまっては意味ないし、あんたらがその地獄を生み出すことを助長してどうする…。

私を含め他の実習生も同じように感じていたようです。教育には携わりたいとは思うけど、教員という形では無理だなぁと感じたのが大多数。教員採用試験も受ける人の方が少ないというこの有様。私も試験受けるのは諦めました。

教員になったとしても子供相手より職員室内の関係とか保護者関係で私は折れてしまうんだろうなぁ〜。耐え難い職場環境から逃げて、やっと道が開けたかと思えばこのザマだもんなぁ。
まぁなる前に自分で気づくことができてよかったと思うしかない。それくらい想像したより厳しい世界でした。

それでもいつか、また教壇に立ちたいと思う日が来れば、それはそれでその時に考えればいいんじゃないかな。
行き当たりばったりでも、適当でも、逃げてもいいじゃないか。それを誰かに否定される筋合いはないんだから。

何が「お前は逃げてる」だよ。
逃げて何が悪い。
立ち向かう人間を応援するのは当たり前だけど、逃げる人間にも寄り添えないようじゃ誰も信頼なんて寄せてくれないよ。
あなたは立ち向かう人間を否定して、逃げた人間も否定した。よくそんな態度で教員になれたな。

おっと失礼、指導教員への愚痴が出てしまいました。

私が教員になった時には、そんなことを子供達に伝えたい。
逃げても精一杯生きてきたからこそ、そう伝えたい。
それがいつになるかはわからないけれど。

ここまで読んでくれた人、ありがとう。
いつの間にか2700字以上書いてました。小レポートかよ。

またぼちぼち生きていきます。
ひとまずさよなら地獄。

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