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水面をみあげる

家賃とカードの支払いを済ませたら、給料がすっからかんになってしまった。
雀だってもう少し泣いたでしょ、と思いながら通帳をにらむ。ウーーム。バイト探そうかなあ。夏だし。

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すこし前、「100万円と苦虫女」を観た。

予告編


前科持ちの主人公鈴子が、人や土地と長く関わりを持たないために「100万円貯まったら次の町へゆく」という決まりをつくって生活していく話。終始余白のある物語だと思った。流れるテンポが心地よくて、いっしょに旅をしている気持ちになる。身ひとつで転々とするなか、手作りのカーテンはずっと手放さないところもよかった。カーテンが揺れるたび、鈴子の「心のどこかでつながっていたい」という思いも凪いでいるように感じたから。


だれにもどこにも執着せずに生きようと思っても結局手を伸ばしてしまうこと。自由と不自由は紙一重だということ。何もとらわれずに泳いでいるように見えても、あらゆる場所で苦悩は生まれる。
それでも、自分のちからで生きようとする鈴子が羨ましかった。陰口を叩かれたら面と向かって相手に掴みかかる鈴子が。自分を知る人がだれもいない土地であたらしい生活をしようとする鈴子が。

鈴子のようにどこかにゆけたらと思っても、あたまの中にいる冷静な自分がまっとうな意見で現実を突きつけてくる。
仕事があるし、生活があるし、責任があるでしょう。わたしはひとりで暮らしているわけではないんだよ。どこかにゆけたら?甘えたこと言ってんじゃないよ。

生きる糧だと思っていたものがズンと重たく感じてしまうとき、ふかい海の底をたゆたっているような感覚におそわれる。
わたしを構成しているものってなんだろう。「まっとう」ってなんなんだろう。いつの間に、生きることに責任を感じるようになったんだろう。

揺り戻しに考えるほど、人間は面倒だと思い知る。知識だけ豊富になって、知ったかぶりがうまくなって、傷つくことを回避するために先回りして傷ついて。強くなったんじゃない、弱さをごまかす方法を覚えただけだ。

鈴子は、自分を見失わないようきちんと向き合って次に進んだ。
鈴子のなかでは誤解が解けていないままだからすっきりハッピーエンド、とくくるわけにはいかないのかもしれないけれど、これからを感じさせる余韻と余白のあるラストはうつくしかった。背筋を伸ばした最後の視線も。

夢から醒めるような幕引きだった。

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前を向く日々だけがただしいなんてことはない。

余裕はこれっぽっちもないけど、何度も立ち止まって深呼吸をしよう。疲れたら横になってしまえばいいし、転んだら傷が癒えるまで休めばいい。

ありあまる余白を愛そう。空白のある人生のほうが、きっとたのしい。


P.S. 通帳の空白は早いうちに埋められるようにがんばれ。たのむよ、未来のわたし。


#エッセイ #映画

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