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ミッドナイト・サマータイム

夜中に目が覚めて、それから眠れなくなった。どうしようかなあ。なんとなくベランダに出て、散歩に行こうと決めた。
ちょうどよくぬるい夏の夜道が好きだ。この間買ったきり飲んでいなかった缶のレモンスカッシュを片手に歩く。部屋着のままパーカーを羽織って、知り合いなんてひとりもいない街を歩く。

実家にいるときもよく夜中に抜け出して散歩をした。一緒に連れ出した飼い犬は真っ黒で、夜に紛れながら寄り添ってくれた。去年犬が死んで、夜の散歩をあまりしなくなったのは、ひとりで歩くには長すぎる道がさみしかったから。

川の近くに住んでいる。夜の川はいつもより静かで、いつもより近くを流れているような気がしてよい。立ち止まって、腰を下ろす。少し湿っている。
昔、とはいっても2年前、やたらと夜の海に行っていたことをぼんやり思い出した。あの夜の海よりも今夜の川の方がもっとずっとやさしい。ものすごくゆっくりだけど、わたしもそれなりに忘れるべきことを忘れたんだな。思い出しきれない何かを思う。きっとそれでいい。

ひとつの曲をずっと聴いていて、それが今何周目のループに入ったのかもうわからなかった。水はどうしてこんなにずっと見ていられるのだろう。川や海をずっと見ていると、だんだん自分自身が景色の一部になる。そこにいるのに気づかれないような、なくなってはじめて何かあった気がすると言われるような、そんな景色に。

誰かがいないと意味がないような人間になりたくはないけど、誰かの景色になりたいと思う。かつてそこにわたしという風景があったと、忘れたあとも少し胸につかえる記憶の隅っこにいたい。

まだ全然この街に慣れていなくて、帰ろうとしたら道に迷ってしまった。わたしは方向感覚能力が恐ろしいほど欠落しているので、迷子になってもそう簡単にはうろたえない。少しずつ空が白んできて、夜の続きを生きていた人たちとすれ違う。夏の夜は短いから、少しくらいはみ出したっていいよね。

夜と朝の隙間を潜り抜けながら歩く。どんな道を通ったのかわからないけど、思っていたのと反対側から家に着いた。

ただいま。おはよう。ご飯を食べたら、仕事に行く準備をする。

#エッセイ
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