見出し画像

思い出はいつもきれいだから

無意味だと思った日々を振り返る無意味な時間ばかりいとしい

うしなったことだけわかる唇がちいさな音を立てて乾いた

砂時計何度も何度も反対にしたかったのに 好きだったのに

じゃんけんぽん(きみは優しい)あいこでしょ(ぱーを出したら笑ってくれる)

花束をふたりでほどく 運命も奇跡も恋も色褪せていく

画像1

2021/1 映画『花束みたいな恋をした』


*****


『花束みたいな恋をした』を観て短歌を作った。

この映画、「すごくよかった」っていう感想と同時に、「でも結局さ」という少し斜めな感想も見かける。それはめちゃくちゃわかる。正直、わたしも観た直後に書いた感想でそんな感じのことバーーって並べちゃったし。

でも、そんなフワフワしてるところ、現実味がないところも含めて「花束みたいな恋をした」ってことなんだと思う。

無意味だと思った日々を振り返る無意味な時間ばかりいとしい

映画のはじまりを思い出してみてほしい。絹と麦がお互いそれぞれ違う恋人と一緒にいて、うっかり再会するあのカフェのシーン。わたしたちは、そうやってふたりの現在を知ったあと、ぐっと遡った2015年から、まだ出会う前の麦と絹がどんなふうに出会って、どんなふうに恋をして、そしてどんなふうに別れを選ぶのかを2時間かけてなぞっていく。つまりわたしたち視聴者は、最初からある種のネタバレをくらっている。「このふたりの恋は終わる」という終着点(これはもはやタイトルからしてそう)を知っているからこそ、普通ならただ胸キュン!かわいい!かっこいい!ってなるようなシーンでも、言葉にできないいろんな感情に振り回される。

そう考えると、さっき言った「フワフワしている」とか「現実味がない」とかもなんだか納得できてしまう。だって、わたしたちが見ているのはふたりの思い出だから。「花束みたいな恋をした」思い出だから。そんな思い出に、変なリアリティはいらない(たとえば荒れた部屋とか、たとえば生活費が苦しかったとか、たとえばもっと些細な喧嘩とか)。記憶と思い出はたぶん、似ているようですこし違う。

画像2
うしなったことだけわかる唇がちいさな音を立てて乾いた

そんな時間を過ごしたあと、最後のファミレスでの麦の決定的なひとことはどうしようもなくしんどかった。そして「言っちゃった」という麦の表情。終わることはわかっていたはずなのに、どうしようもなくしんどかった。

画像3
砂時計何度も何度も反対にしたかったのに 好きだったのに

麦の言った「俺の目標は、絹ちゃんとの現状維持です」と、絹の言った「ずっとこんな日々が続くんだと思ってた」。ふたりの気持ちがずれていったことは明白で、でもそれがどこからだったのかはわからない。好きなものが一緒なだけじゃダメなんだとか、所詮うわべだけのカップルだったんだとか(ポイントカードみたいな恋だとか)何とでも言えるけど、それでも気持ちが交わっていたときはあったと思う。
丁寧に作られた砂時計は、100年以上持つと聞いたことがある。でも、市販のものは案外すこし経つと湿気が入ってしまって、砂が落ちなくなったり逆に早く落ちすぎて正確な時間が刻めなくなってしまうこともあるらしい。昔、理科の授業か何かでこの話を聞いてふうんと思った。まだ覚えている自分にもすこし驚いた。

画像4
じゃんけんぽん(きみは優しい)あいこでしょ(ぱーを出したら笑ってくれる)

「いまだにじゃんけんのルールがわからない」という、ザ・坂元裕二脚本なセリフ。なんでこのセリフをこんなに強調したんだろうと考えて、結局これもふたりの別れを示唆する言葉だったのかもしれないな、なんて思った(完全にわたしの後付け的発想ですが)。
面接に向かうときにはグーだった手が、2020年、それぞれ別の恋人と歩きながら、振り返らずに掲げる手はパーだった。

画像5
花束をふたりでほどく 運命も奇跡も恋も色褪せていく
画像6


友達とも話したけど、観終えてからいろんな感想が出てくる映画は、その後味がどんなものであれ好きな映画なんだと思う。感想だけじゃ足りず、短歌までつくってしまったわけなのでもう、「なんか悔しい」とか言ってる隙もないな。

ちなみに、次は何にも考えなくていいめちゃくちゃなやつが観たいと思って観た『プラットフォーム』は思った以上にめちゃくちゃな映画でした。これだから映画を観るのはやめられないですね……。


#tanka #映画 #花束みたいな恋をした

いただいたサポートは制作活動費に充てています。メッセージもいつもありがとう、これからも書いていきます。