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モグラの夢

小さい頃に見た夢を今でも覚えている。

なぜかわたしはモグラで、ひたすら土の中を車で走っていた。かなり長い間走ったあと、途中で崖から外に飛び出して落下。飛び出した先には海があって、車体から放り出されてゆっくり背中から海へ落ちた。空を見上げる姿勢になったとき、崖の上に父と母が立っていたことに気がついたけれど、伸ばした手は届かなかった。視界がスローモーションになって、両親の姿はどんどん離れていく。わたしはモグラの姿のまま落ちていく。これは夢だと、夢の中で気がついたのはそのときがはじめてだった。

目が覚めて、あまりにも鮮明だった夢の絵を描いて母に見せた。

あのね、モグラだったの。あのね、わたしひとりでエスティマを運転したの(家の車=エスティマ=自家用車はみんなエスティマ、の概念だった)。お母さんとお父さんがいて、見ながら海に落ちて、夢だってわかったの。夢だってわかったの!

当時5歳だかそこらだったのに今でもよく覚えているのは、夢の記憶を絵でかきとめたからだと思う。忘れたくないことは記録すればいいのだと、幼いながらに知ったのもこのときなのかもしれない。

母も父もおもしろいねえと喜んでくれたことがうれしくて、通っていた絵の教室でもモグラの絵を描いた。黒い色画用紙に、白いクレヨンで穴を描いて、大量のモグラを住まわせた。部屋もたくさんつくって、楽しそうにした。だって、ひとりは、こわかったから。

そう、こわかったから。

モグラの夢を見たとき、ほんとうはとてもこわかった。
どこまで行っても真っ暗な世界が不安で不安でたまらなくて、ぐんぐんスピードをあげた。崖から飛び出したときにやっと両親が見えてホッとして、でも伸ばした手が届かないのだということに絶望した。母や父に伸ばした手が届かないことは、ぜったいにないと信じていたから。夢だとわかったのは、「お母さんとお父さんはわたしの手をぜったいにつかんでくれる」と信じていたから。

*****

地球史上最大級といわれるほどの台風が近づいてきていて、きょう妹とふたりアワアワと籠城する準備をととのえた。
風呂場に水をためて、雨戸を閉めて、換気扇を消す。玄関ポストから水が入ってこないようにビニールで覆って、ベランダにあるものはすべてなかに引き上げた。洗濯機(我が家は築30年くらいのボロアパートなので洗濯機はベランダにある)は飛ばないようにすこし水をためて、100均で買ったレジャーシートでぐるぐると包んだ。

世界が終わるときってこんな感じなのかな。
たぶんね。終わりのはじまりだよ。

テキパキと動く妹が頼もしくて、思わず「いつの間にこんなたくましくなったのさ」と笑う。「ひとりじゃないからだよ」と妹は言った。

そうか。

ずっと昔に見たモグラの夢を思い出す。
だれもいない土の下が、こわくてたまらなかったこと。夢だと気がついてからも動機がやまなかったこと。「それは夢だよ」と言って欲しくて絵を描いたこと。

福岡に住む両親から、気をつけてねと連絡があった。大丈夫、大丈夫と笑う。こわい夢を見てもきっと大丈夫。

今日は夢をみるだろうか。目がさめると同時に溶けていく記憶を、いつまで覚えていられるだろうか。



正夢が見たくてイチジクを食べた しろい果実はやわらかかった


#エッセイ #短歌

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