闇に沈む 『パラサイト 半地下の家族』
どこで引き返せば、どこまで巻き戻れば悲劇をふせぐことができたんだろう。
「もしも」の展開を考えても考えても、けっきょくあの結末からは逃れられなかった気がする。
映画『パラサイト 半地下の家族』を観た。
主人公のキム・ギウは、父、母、妹と半地下で暮らしている浪人生。家族仲は良いけれど全員失業中で、生活は苦しい。
そんなある日、ギウは大学に通う友人からの紹介で上流家庭パク一家の娘の家庭教師をすることになった。身分を偽り、パク一家に入りこむギウ。ギウは、もともと働いている使用人たちをおとしいれ、代わりの使用人として妹、父、母、家族4人ともパク一家で働けるように計画をたてる。パク一家は、単純ですぐに人を信頼する奥さまをはじめキム一家のことをまったく疑わない。キム家族は安泰な生活を手に入れた、はずだった。
*****
以下ネタバレ込みの感想です。
こんなに画面から目が離せないのも、同じくらい顔を背けたいと思うのもはじめての映画だったかもしれない。
どうなるのか全然予測できなくて、だけど嫌な予感はあって、ずっと動悸がしていた。
最初は少しずつパク家に潜り込んでいくキム一家の頭の良さと、簡単に騙され彼らを信頼するパク一家のやりとりがただおもしろかった。嘘でしょ?てやり方を思いつくことはもちろん、実際上流一家にあやしまれず役割を演じられるほどの技量を持っていることも。劇場で思わず笑い声があがるシーンもあったし、グングン引き込まれた。
キム一家はたしかに貧しかったけれど、馬鹿ではなかった。なかでもとくに賢かったのは妹のギジョンだと思う。パク一家のやんちゃな長男、ダソンを手懐けて信頼を勝ち取ったのはすでにいた使用人の代わりとしてではなく彼女自身の力だったし、本編の中でも触れられたように振る舞いがとても「らし」かった。あわてて隠れるときにだいたい忘れがちになる物の配置を指示していたのもギジョンだ。半地下の家が浸水したとき、逆流するトイレに腰かけてタバコを吸うシーンはうつくしかった。
この作品には、「根っからの悪者」と認定できる人物はひとりも出てこない。裕福なパク一家も、貧困層のキム一家も、ひっそり地下にいた元家政婦の夫も。
パク社長が運転手のギテク(父)を「臭い」と言ったのも、ダソンが「たすけて」と解読できたモールス信号を無視したのも、彼らにとって悪ではなかった。気に止めるまでもない些細な事象だった、に過ぎない。
だからこそ、「悪」がないのに世間からみたら「悪事」になってしまう出来事はおそろしくて、そしてとても悲しかった。
金持ちと貧乏。地下と高台。格差社会の対比の描かれ方がよかった。
半地下に住む家族の家が水浸しになったとき、高台に住む家族は優雅に嵐を見ながらリビングのソファに横たわっていた。机の下でゴキブリのように息をひそめるキム一家は、明るく清潔なパク一家のようにはどうしたってなれない。
ラストシーンが始まりと同じカット回しで、やるせなさがさらに増幅した。現実は変わらないこと。結局貧困からは抜け出せないこと。これから先、ギウたちがギテクと再会することはきっとない。ありえないとわかるからこそ、あの再会シーンは空想だとわかるからこそ、夢じゃなければいいのにと思ってしまった。苦しかった。
キム一家が、パク一家のことを「金持ちなのにいい人たちだ」「金持ちだからだよ、お金はシワを伸ばすアイロンだから」と話すシーンが印象に残っている。この映画もきっと、観る人の立場や環境によって感想は変わるのだと思う。わたしはずっとギウ側の目線にいた。
「パラサイト」の直訳は「寄生虫」だという。たしかにキム一家はパク一家に「寄生」しようとしたのかもしれない。でも、でも、それでも。
キャッチの「幸せ 少し いただきます」の意味は、果たして。
2020年、これ以上の衝撃に出会えるだろうか。圧倒的だった。
いただいたサポートは制作活動費に充てています。メッセージもいつもありがとう、これからも書いていきます。