コロナで高熱のあと、タマシイが生きろとぶん殴ってきた話。

※追記2022/7/9本日時点でアジアン・ボヘミアン系ショップ数軒回り、三点のお洋服を購入しました。有言実行やで。ぼちぼちやで。

5月17日、爽やかでお天気の良かった日。
休みだった主人と近所にランチに出向き、駅前で分かれて主人は銀行まわりへ、わたしは買い物をして歩いて帰宅しました。
その直後、寒気が襲ってきました。猛烈な寒気です。毛布と布団をかぶって、ガタガタ震えました。ああ、これは

インフルエンザやな!!
まちがいない(確信)

人生最大級の勘違いを致したのでございます。
そこから寒いまま体温は39℃まで駆け上がり、うん、ひょっとして、もしかして、という思考の迷いが確信に移ったのが翌日、夕方。スーッと37℃台まで落ちて、一気に楽になったのです。インフルエンザなら、これでオシマイ。勝ちましたわ。

ところが、すぐにまた、38℃台後半まで上がる。上がる、下がる、また上がる。これは、アカン。インフルエンザでないことは分かりました。関節痛や頭痛、吐き気など、高熱に伴う症状ははげしく、体じゅうにモヤモヤとした、じっとしていられない気持ちの悪さがかけまわります。

ただ、悪いことが起きたという感覚はありませんでした。
高熱というトンネル、噂の流行り病というトンネルに入ったことは、ありのままの事実として受け入れている自分があり、炎で炙られながら過ぎていく時間を味わい続けていました。時間の感覚はおかしくなっていて、一日が一週間ほどに感じられたり、振り返るとカレンダー上ではたった三日しか経っていないことに驚いたりしていました。

残念ながら隔離生活は意味をなさず、家族にも感染ってしまい、体温計が忙しい有り様になりました。もう39℃・40℃では誰も驚きません。幸いにも生協さんが届けてくださるので食料品には困りませんでしたが、トイレットペーパーが切れるのが先か、わたしの外出自粛期間があけるのが先か、熱いデッドヒートがくりひろげられました。

やがて、家族よりも五日間ほど先行していたわたしは、ほとんど微熱か平熱になりました。ならば家族もやがては完治するでしょう。安堵しつつ、それでもアタマがぼんやりしてまだ作業ができていなかったために、わたしはPinterestというアプリでぼんやりと世界じゅうの画像を眺めていました。

すると、一枚の写真が、話しかけてきたのです(ヤバイ)。

それは白人のおばあさんの写真で、おそらくアーティストの方なのでしょう。派手な色柄のリネンの重ね着を身に着けて、ボヘミアンな風体で、こちらをまっすぐに見つめていました。

あなた、何をしているの。
バカね、こそこそと隠れて、残りの人生を安泰に生きようってわけ?
くだらない。ばかばかしい。早くお立ちなさい。
あなたの魂を表現できる時間は、そう長くは無いわ。
わたしのように長生きしたところで、半分も出せずに終わるのよ。

生きなさい。表現するのよ!

他のことをする暇なんて無いわ。
最高に好きな服を着て、誰にも何も言わせないで。
生き様を全身で表現して、発信して、誰もがあなたのようにできるのだと、叫ぶのよ。
世界じゅうをかけまわって、人々のこころに火をともすのよ。
さあ、早くお立ちなさい。
『生きる』のよ。生きなさい。ぶざまに、笑われて、笑いながら、叫びながら、ただ魂をこの世界に引きずり出すために、生きるのよ。
賢さなんて棄ててしまいなさい。
最期にはどうせぜんぶホネになるのだからね!

それから長いこと、呆然とPinterestの画面を眺めていました。
ああ、人生がまたやって来たぞ?という色鮮やかな気配を感じていました。わたしには、ここから先の人生のビジョンなど、何も持っていませんでしたから。

はぁぁ、ボヘミアン、似合うかな?(違う、そこじゃない)

今、高らかに命を得て語って去ったイメージ存在は、わたしのなかの数段高い視野をもった意識なんでしょう。
胸ぐらを掴んで、振り回したあげく、二三発頭突きを食らわして去っていきました。
まさにこのために高熱で浄化されたような気さえします。
茹で上がった白身魚みたいになったところで、さあ、生きよと透明な海に放流されたみたいです。

そう、生きねばならぬのね。
タマシイは思うよりずっと、派手で荒々しいヤツなのね。
ああ、たいへんだ。いろいろ忙しくなってきた。
まぁ、やってみっかー\(^o^)/