頭でっかち
幼少期、傷つけられてきた人のエッセイを読んでいると、胸の中から思い出されるものがあって、暫く眠れなくなる。
暗い感情の発露が、文章を書き出す邪魔をして、ベッドに寝転がり、何もせずに抱き枕を抱きしめている時間が増える。
日課のnoteを書くこともままならず、しかしそれでもパソコンに向かっていると、いつも飲んでいるお茶の減りが早くなり、お茶を淹れになんども席を立つ。
何かを咀嚼しようとしているのだけど、モヤモヤが心に滞留して、その感情を規定するものが何も生まれないまま、その感情が何かを刺激し、過去のことなどを思い出したりする。
過去を過去にする、必要なプロセスを踏んでいるのだと、思っている。
半年前、ご縁で地元のお寺にお邪魔した時、いろいろなことを話した後、「頭でっかちになってるね」と言われたことを、今でも覚えている。
当時の私は、なんて返事をしたのか覚えていないけれど、頭でっかちになってる自覚はうっすらとあって、日常を、今を楽しむべきだという思いを抱えながら、それでも遠くを、未来を見ていた。
幸せが感じられないのは、私が私を見ていないからだ。もう遅いのかもしれない。だけど、今から私が私を見るようになったら、何かが変わるのだろうか。
最近やっと、半年前に言われた言葉が身体の奥底まで染みてきたような気がする。
頭でっかちだ。
本当は社会のことも未来のこともどうでも良くて、自分のことと今のことを考えるだけで良かったはずなのに。
今のことを考える。
未来なんて知らないと、投げ捨ててしまった方が、楽しくなれる。
社会なんて知らないと、顔を背けてしまった方が、楽になれる。
雁字搦めの中で、思考まで雁字搦めになってしまったら、私たちの逃げ場はなくなってしまうのに。
社会なんて、考えなくてもいいんだ。本当は。
生きてさえいければ。
自分のコントロールだけ、手放さなければ。
やりたいことをやる。
未来のことなんて、考えない。
大抵、未来はどうにかなるし、問題が起こったらその時に考えればいい。
未来を考える余裕ができるまで、未来は考えない。
机に向かう。論文を読む。
前までは、この研究の社会的意味だとか、未来価値だとかがずっと頭の片隅にあったけれど、もう、それはいい。
私は、私がやりたいから、これをやる。
頭でっかちってこういうことですか。
私は今、地を踏みしめているのでしょうか。
答えは返ってこないけど、私は確かに、楽しさの片鱗に手を触れたような気がした。
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