やわらかい


「どうして日本はダメだったんだろうね」

そう聞かれた言葉が、今もずっと、頭の片隅にある。

これは、アメリカに来てから1年か2年経ち、日本に一時帰国した際に、挨拶に行った元高校の学年主任の先生に聞かれた言葉だ。

この学年主任の先生は私のクラスの副担任でもあって、担任の先生と一緒に、半不登校状態だった時期にすごくお世話になった。留年しないための最低単位を計算してもらったり、他の教科担任の先生に取り次いでもらい補講を受けさせてもらったり、他にも色々。

この先生は、私がどうしても高校の環境に適応できない様を、1年間ずっと見ていた。
結局高校には戻れずに、一年生の単位だけ取ってアメリカに飛んだ時も、手続きを含め多大な心配を掛けた。月日を重ねるにつれ、私の精神状況は大きく悪化していたので、この一年の後半時期はもう記憶すらまともに残っていない。

そんな状況でアメリカに飛び、元気になって戻ってきた私を見て、先生がふと、最初の言葉を呟いたのだ。
「別人みたい」と言われるほど元気になっていたので、その疑問は当たり前だったのかもしれない(私を高校以前から知っている人たちは「元の性格に戻った」と言っていたけど)。

その時、私は、何と答えたのだろうか。
私の高校は進学校だったので、忙しくて自分の時間が中々取れないというのも理由の一つだったし、家庭環境のあれそれも、私自身の性格のこともあった。
多分それを、拙いながらも伝えたのだと思うのだけど、どうしてダメだったのか、私は未だによく、分かっていないのだと思う。
どの理由も正しいのだろうけど、それで全てを説明し切れていない気がしてしまう。

数年前は、今よりもっとずっと自分に対する解像度が低くて、「自分のありたいようにあれないこと」=「周りからのプレッシャー」だと思っていた。

でもずっと、違和感が残り続けていた。

だって私は、周りからこうあれと言われたことに、非常に無頓着だ。
周りから何を言われようが基本気にしないし、そこにプレッシャーや罪悪感なんか感じない。周りに言われたことに沿うか沿わないかは自分で決める。それは反対に、自分で決めたことに対して、周りへ責任転換はしないということも含んでいる。

私は、誰かに責められて自分を変えられるほど柔くはない。柔くはないどころじゃない。きっと、ベリーハード。硬くて、ガチガチしていて、自分の外殻がはっきりとある。

こういうベリーハードさは、アメリカで生きる上で、とても向いていた。

こっちの人は大体みんな硬いし、硬いからこそ他人と自分の境界線がしっかりある。
私がアメリカでも、日本人のコミュニティと上手くやれないことが多いのは、きっとこの所為なのだろう。
アメリカ人や、もっと言えば南アメリカの文化圏から来た人たちや、他のアジア圏から来た人たちとは上手くいく確立が高い。

それがずっと不思議だった。
日本人が嫌いなわけでは決してない。日本は大好きだし、日本の優しい人たちも好き。友達だって、家族だって、恩人だっている。それでもどうしてか、アメリカに来る日本の人たちとは、近しい距離で、心を開いて仲良くはなれない。いつも、一定の距離を保って交流してしまう。

その不思議を、今日はシャワーを浴びながら考えていて、ふと気が付いた。

あれ、これって、柔らかさが原因なんじゃないか?

先に言ったように、私は硬い。ベリーハード。鉛筆の芯で言ったらHB。
そして日本から来る人たちは、多分柔らかい人が多い。

柔らかさというのは、他人との境界の曖昧さでもある。
周りを見て、自分の形を変えられる柔らかさ。柔らかいが故に、他人と近い距離で、一緒にいられる。

この柔らかさには良い面も悪い面もあって、他人に対して優しくなりやすい分、傷つきやすくもなる。傷つきやすくなるから、周りにも自分と同じであることを、望んでしまう。同じ柔らかさだったら、傷つかないから。

私は、ずっと硬かった。そして、その硬さで誰かを無意識に傷つけてしまう事を、ずっと恐れていた。この恐怖が、私が昔から感じていた「周りからのプレッシャー」の正体だ。

日本にいると、何故か息が苦しいのだ。
数年前、縁あってお会いした人と話している最中に、その息苦しさを「私は形が周りとは違っていたから、その違っている部分をゴリゴリと削られている感覚があった」と説明したことがある。
今なら分かるけど、ゴリゴリ削ろうとしていたのは周りじゃなくて、私自身だ。その硬い部分を削ってしまえば、誰も傷つけないでいられると思った。結局削るなんてできずに、精神を病んで、アメリカに飛んでしまったのだけど。

だから、「どうして日本はダメだったんだろうね」という問いの答えは、柔らかい人ばかりの環境にいるには私は硬すぎたから、なのだろう。
硬いだけならまだ良いけど、私は誰かを傷つけたくなかったし、日本の環境は、傷つけないように柔らかい人たちと一定の距離を取ろうとすることさえ、少し難しいように思う。

日本を出たことで、物理的に日本の知り合いとの距離が空いた。私にとっては、インターネット上で偶に交流をして、1年に一回会えるか会えないかくらいの距離が、丁度良いのだろう。
もっと近く行こうと努力したことはあるけれど、やっぱりダメになることも多いから。

人との距離感を学ぶためには、自分と、そして周りの硬さについて自覚的でないといけないのだろうと思う。
私と同じ硬さであれば、私は近くに行ってもその人を傷つけないで済む。硬さは反発気質とかではなくて、単に自分の形の強度だ。だからこの距離の取り方に慣れれば、いずれ柔らかい人とももっと近く交流することもできるようになる。

今日はこれをレッスンとして、今、周りにいる人たちとの距離と硬さについてもっと考えてみたいと思う。

雑感。
(今日のトップの写真、すごく青々しくて、綺麗ですね。もう夏だ)

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