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We believe in Democracy


一日経って、どうしても気が収まらないので、久しぶりにnoteを書いている。

昨日起こった、アメリカのキャピタル襲撃の話。
アメリカの反対側に位置する私たちの州にも関係ない話ではなくて、ワシントン州キャピタルが同じく襲撃された。
キャピタルは、大学に行く時に毎日目にする場所で、昨日私が大学に行っていたら確実に遭遇したであろう時間だった(私は数ヶ月前から卒業後インターンに入っているし、授業もほとんどがオンラインなので大丈夫だった)。

日本のTLを見ると、対岸の火事よろしく、開けっ広げに「エンタメだ」と宣っている人がいたりする。
もちろんエンタメだと思うのは勝手なんだけど、それを誰にでも見える場所で言っているという点で、私はこれから彼らとどういう関係を築いたとしても今回のことを忘れないし、こうした信頼は一生戻らないだろうと言わせてほしい。

今回のこと、アメリカの歴史やら、現状やら、そういうものが分からないともしかしたら重大さを分かってもらえないのかもしれないけど、一言でいうなら「あり得ない」だ。

どれだけこれまでトランプさんを批判していた人も、今回の件を予見した人はいない。
「大統領が核のスイッチを押すかもしれない」という、恐らく最もあり得ないことが「あり得るかもしれない」と言われるほどに、あり得ない事態だ。まさか彼がこんな事をするなんて、誰も思っていなかった。
さすがに核のスイッチを押す事はないと思うけれど、今回のことだってそう思っていたのだ。

アメリカ国民でない私からしてもショックだったし、生まれた時からアメリカ国民であるホストファミリーは呆然と口を開けて、泣きそうになっていた。
「こんなの、私たちのアメリカじゃない」
ほとんど同じ言葉が現役フランス大統領の口から出たのも、全然大袈裟じゃない。

事はかなり深刻で、Civil Warが起きるくらい分断が進んでいると言っても過言じゃないと思う。
アメリカに来てから、アメリカの分断やら、差別の歴史やら、ナチズムやら、そういうのも学んできたけれど、正直現状がここまで深刻だとは思っていなかった。

私はアメリカ国内を旅するのがただただ怖くなったし、一人で買い物に行くのだって怖い。バスに乗るのはもっと怖い。
こういう時に一番抑圧を受けるのはいつだってマイノリティだってこと。それはアメリカに限らずどこも同じなんだってこと。日本に帰ってマジョリティ側になったとしても、忘れてはいけないと思う。


宗教改革、フランス革命から始まり、特に戦後から私達が少しずつ紡いできた、人類の最大幸福を求めた民主主義の挑戦は、こうして一日で壊された。
いや、まだ壊されてはいない。壊されないように今も必死で働いている人がいるのだろうし、こんなことで壊されないと信じたい。
だけど、確実に傷つけられた。

今回のことで民主主義と資本主義の脆弱性が明らかになったのは確かだけれど、もっと怖いのは、その脆弱性がアメリカ以外の場所からも見受けられることだ。
そういう人達に共通して言えるのは、「もし不平等と暴力が社会に戻っても、自分は絶対に虐げられない」と何故か信じていること。

不平等と暴力を基に社会を形成するには、人口の大多数が搾取される側に回る必要がある。権力者は人々を無知のまま、貧しいまま、力無きままに止めて、社会を運営する。
そういう構造でしか(主に食料面で)集団を維持できない時代もあったけれど、そこで溜まった鬱屈がいつしか力を持って革命に変わり、現代の民主主義へと変わった理由について、そこにあった決死の覚悟について、それらを必要としない時代に生きている私たちも忘れてはいけないのだと思う。


格差は大きい。
それはアメリカの分断が、大都市と田舎、富裕層とそれ以外、で見られることからも明らかだ。
そういった格差と不満を是正する為に何ができるのか。私達はまだ答えを見つけていない。
それこそが、現代社会の脆弱性であって、私達が近い将来解決しなければいけない問題だ。
人の善性だけを頼りにしたシステムではいつか限界が来る。そのことがよく分かった出来事だった。

それでも私はまだ民主主義を信じたいし、暴力と略奪を必要としない世界がいつかくると思いたい。


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