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初めて同性の子にキスしたいと思った話

 


 ほぼ初めての飛行機を降りた時、私の心臓は胸を突き破りそうなほど激しく動いていた。途中でよった仁川空港での5時間も、一人だけの旅路も、何もかもが初めてで、私はとにかく誰とも関わらないように空港の片隅で次の飛行機を待った。

 十時間にもわたる長期フライト。窓際の席で外の様子を眺めながら、何度も何度も席を立った。4本の映画を見て、二時間の睡眠をとった。飛行機を降りた時、私は何もわからないのに全て分かっている素振りで、誰にも話しかけず、辺りをキョロキョロと見渡すこともせず、入国審査の長い列に静かに並んでいた。16歳の初秋だった。

 なんとかスーツケースを持ち上げて税関を出た時、税関の職員の人に「可愛いスーツケースだね」と話しかけられた。おっかなびっくりしながら「ありがとう」と返した時の笑顔は引きつっていなかっただろうか。

 空港のメインロビーまでの電車を待ちながら、慣れない英語でされるアナウンスに真剣に耳をから向けた。あんなに集中したのは、人生で初めてかもしれない。
 電車を降り、携帯電話を取り出す。日本で契約をしてきたから、もう使えるはずだ。カタカタと震える指とうるさい鼓動を抑えつけながら、画面をタップした。

「Nana? 」

 エスカレーターを降りてすぐのことだった。自分の名前が聞こえた気がして辺りを見渡すと、金髪のメガネをかけた大きな女の人が立っていた。初めまして、と言われながら抱きしめられ、私は体を跳ねさせながら背中に腕を回した。しばらくすると旦那さんであろう男の人も来て、こちらはすんなりとハグをした。
 もうひとり違う子が来ることは事前に知らされていたので、その子を待つ間彼らと話をした。「映画好き? 」「SF見る? 」とか色々聞かれたけれど、笑顔を保ちながら一言返すので精一杯だった。

 もうひとりの子が来て、その子ともハグをしてから車に乗り込んだ。車窓からの眺めは確かに日本とは違うのに、やはり感動することはできなかった。「何も変わらないんだな」と諦めて、スーツケースに入った薬を思った。あれに頼ることだけは、もうしたくない。日常全てがぼんやりとしてしまうのだ。
 家に帰る前に連れてこられたコストコでそのサイズ感に驚きながら、これから過ごすであろう日々に思いを馳せた。

 それからの6週間は単調だった。朝早く家を出て、二時間ほどバスに揺られながら学校に行く。学校ではクラスメイトとそこそこ会話をし、家から持って来たランチを食べて、時々午後の授業をサボった。

 クラスの先生には好かれていて、結局二つほどクラスを飛ばして上がったりしたけれど、特別仲の良い友達はいなかった。よく家にいる私をハウスメイトは時折連れ出してくれたけど、態度を砕けさせることはできなかった。
 ちょっと仲が良くなった子とはクラス終わりにテニスをしたり海に行ったりしたけれど、週末に遊びに行くことはなかった。彼女たちは、1ヶ月弱で帰って行った。

 6週間が過ぎて、クラス替えがあった。
 最初の数日は今までと同じように、そこそこ会話をしながら、適当にクラスをサボっていた。だけど数日が経って、クラスメイトから「今日クラスでご飯食べに行くけど、一緒に来る? 」と誘われた。
 多分私はその日気分が良くて、退屈な日々に飽き飽きしていたから、少し悩んでOKした。その日はダウンタウンにラーメンを食べに行った。あまり話したことがないクラスメイトと、初めてプライベートで会話をした。
 

 翌日のクラスでゲームがあった。私はゲームになると燃えてしまう性質で、必然と会話量が増えた。
 この二つの出来事がきっかけで、クラスメイトとの距離が近くなったのだと私は思う。クラス終わりにはみんなで映画を見に行ったりゲームをしたりご飯を食べたりしたし、週末には家に集まってパーティーをした。夜遅くなりこともあって、バスの終電を逃すとUberを呼び、学校の寮に住んでいるこのベッドにお邪魔して寝たりした。


 これだけ近くなると恋愛関係を持つ人も出て来るもので、私はそういうところに鈍感だったけれど、クラスの中で1組カップルができていたらしい。それを別のクラスメイトから聞いて、そういえば、夜遅くにそのカップルと出会ってご飯を食べた時、彼女の方からなぜか睨まれていたなと思い出した。邪魔してごめん。


 そんなこんなでちょっと変わった青春を送っていたのだけれど、この日々が長く続くわけではない。私が行っていたのは言語学校で、ほとんどの生徒は国に帰って行く。1ヶ月後には、一番早い子たちの帰国日が近づいていた。


 全員の見送りは無理だったけど、その中で一番仲が良かった子の見送りに行った。彼は恐らく一番最初、私が全然クラスメイトとの親交を深めようとしていなかった頃から知っている人だった。
 私は恋愛に興味はなかったし、彼の方も最初、国に彼女がいると言っていたので、だから仲良くなったのかもしれなかった。
 ただ時折「噛んでもいい?」とか、「やめて」と「ダメ」を何回も言わせてニヤニヤしてたりと(彼はスペイン語話者)、ギリギリのラインのジョークを言われることがあって、私はそれを笑って流していたけれど、後から近くにいた子に「彼は私に気があったと思う」と言われて愕然とした。小学生か。
 彼とは興味の方向性が似ていて、主に勉強方面で話が合った。別のnoteの話になるけど、「はじめに」で書かれている、「君は世界を変えられる」と言った人は彼だったりする。

 私は彼のことがそこそこ好きだった。というより、好きでもない相手からの「噛んでいい?」はさすがに引いている。それを笑って流せるくらいには彼を気に入っていて、だから空港で別れる時に、別れ難くて結構長めにハグをしてしまい、他の友人にからかわれた。

 半分くらいの友人が国に帰ってしまったけど、去る人もいれば新しく来る人もいる。1月、私はこれから6ヶ月を共にするハウスメイトに会った。

 緊張している彼女を案内して、クラスメイトと一緒にランチに誘った。偶然にも同じクラスになった彼女と朝早くバスに乗って、ランチも一緒で、クラス終わりも共通の友人たちと共に過ごした。休日も一緒に出かけた。 
 たまに彼女の部屋で一緒に過ごし、そのままベッドで寝てしまったりした。ここまでの時間一緒にいる人というのも、多分十年ぶりくらいだったから不思議な気持ちだった。


 その頃の週末はパーティーをやることはほとんどなくて、みんなで車を借りて街中に行ったりすることがほとんどだった。夜遅くなることも多くて、雪が降っている夜にスリップしそうな車に騒ぎながら、途中で開いてた店で鍋を食べたり、開いてる店すらなくなってファーストフード店に寄ったりしていた。

 健康的な私は夜になると眠くなるから、車に揺られて道中寝てしまったり、寝顔を揶揄われたり、助手席に乗った時は眠ってしまった他の友人を後ろに乗せながら運転手と話していたり。青春と聞いて思い浮かぶものとは全然違う経験だったけれど、確かに私にとっての青春だった。

 ホストファミリーとの関係も良好だった。あまり踏み込んでこず、それでいて気を配ってくれる、私に合った家庭だった。3ヶ月も一緒にいると自然と態度も軟化した。だけど、人に何かを頼むということが苦手で、何度か大変なことになった時もある。


 雪が降ってバスが止まった時にホストファミリーに電話ができなかったり、調子が悪いのを黙っていて学校で吐きそうになりUberで急遽家に戻ったり。
 以前にストーカーされた人と同じバスになった時、彼が彼のバス停で降りなくて頭が真っ白になり、自分のバス停で降りれなかったことがあった。夜も遅くて、でももう一度バスに乗るのも出来なくてホストファミリーに電話した。ダディがたまたま起きていて迎えに来てくれたけど、マザーが夜に起こされたから少し不機嫌で。でも何も説明できなくてただ謝った。少しでも不機嫌な人を見ると、身が竦むような恐怖が押し寄せる。

 人に触れるのは平気だけど、人に触れられるのは苦手だ。
 マザーは結構ハグをしてくるけれど、人と触れ合うのが苦手な私は触られないように彼女から少し距離をとって接していたらしい、ということを後になって聞いた。

 だけど、6ヶ月も一緒にいたハウスメイトにはよく触れていた。後ろから抱きしめたり、肩にもたれかかったり、髪の毛をいじったり。

 私は女の子との距離が近くて、よくレズビアンに間違われるほどだ(バイだから、あながち間違ってないけど)。女の子が特別好きとかではなくて、自分に気を持つ可能性が低い相手にスキンシップを取るのが好きなんだと思う。ハウスメイトに関しては「ああ、好きかもなあ」という親愛か恋愛か友愛か何なのかわからない感情は抱いていた。恋愛かどうかは微妙だけど、多分キスくらいはできたと思う。実際髪にはキスしてたし。


 ただ彼女は私の友人に恋をしていた。ギリギリプラトニックだった彼女たちの恋愛は、彼が国に帰ることをきっかけに終わりを告げた。彼が彼女を振ったのだ。

 彼としては、前の彼女が国に帰ってから連絡が途絶えて傷ついたから、もう同じことは繰り返したくないということらしかったが、彼女は泣いた。ホストファミリーももう一人のハウスメイトも知っていたから、みんなで彼女を励ました。私も近くで励ました。
 彼とは親しかったから(前の仲が良かったクラスで出来たカップルの片割れだ)何か言うべきだったのかもしれないが、口を挟むべきではないと思い彼には何も言わなかった。私は彼の見送りにはいかなかったけど、後日彼女が彼に別れのハグをしている動画を見せてもらった。私も泣きそうになった。


 あれほど彼女にキスしたいと思ったことはない。抱きしめて、涙を舐めてあげたかったけど、さすがに抱きしめるだけに留めた。悲しんでいる彼女を見て、愛おしさを感じたのだ。最低だ。
 それだけ彼女は私にとって大切な女の子だった。私がもう少し大人で臆病じゃなかったら、別れの時に「I love you」と言ってキスくらい出来たのかもしれない。燃え盛るような愛ではない気持ちを伝えられるようになるには私はまだ子供だったし、愛が何なのかもよくわかっていなかった。

 この経験を経て、私は2つのことを知った。
 1つは、私の愛の形はこういうものでもあるのだということ。もう1つは、私は女の子もいけるんだということ。彼女は正しく、私に愛を教えてくれた人だったし、私が同性で初めてこういう形で愛した人だった(妹を思うように愛したのは初めてだった)。

 この愛は短期間の自然な恋だったから、物理的に距離が離れれば思いも薄れた。だけど私は思う。これから先、こんな風に人を愛することはそうないだろうと。
 この愛は、6ヶ月間ほとんどの時間を一緒に過ごし寝食を共にするという特殊な環境下でしか起こり得ないものなのだと思う。だけど、きっと誰とでも起こり得る。


 だからこそ、人は好きになった人を特別な存在にして近くに置くのだろう。その事実は今も私の心を熱くして、崖下に踏み出す一歩の障壁となる。私はその希望を胸に、今日も生きていく。

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