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「面白さとは何か?」に対する結論とその次の議論

お初にお目にかかります。
ネコトクと申します。

noteでは主に、そもそもの私の関心事である(コンピュータ)ゲームの個人的な研究について書いていこうかと思っております。

で、早速ですが、いきなり「切り札」を使うくらいで無いと印象に残らないかな、と思ったので、そのうちのひとつを使おうと思います。(明らかに大言壮語ですが(笑)、博学な諸兄姉の方々には不足な点等、ご教授して頂けるとありがたく存じます)

 テーマとしては、直球中の直球、「面白さとは何か?」です。これに関しては、無料記事内で書きたいと思います。
正直なところ、「(プロの)クリエーター内でも意見が分かれる」議論だと思いますし、多くの方が興味を持って頂ける(文字通り、「面白い」)かな、と思いましてチョイスしました。
有料記事では、「その次の議論(面白さの次の議論)」を多少しようかと思います。

では、「面白さとは何か?」に対する私なりの結論ですが、まず、漫画やアニメでお馴染みの「名探偵コナン」の話から入ります。

「名探偵コナン」の主人公のコナンくんは「あれれ~おかしいぞ~」と犯人の仕掛けたトリックに気がつくわけですが、
「おかしい」は「可笑しい」であり、「面白い」であると思います。

読者の方々の大半から、「いや、そのりくつはおかしい」とツッコまれそうですが、コナンくんのセリフは、「あれれ~おかしいぞ~」の他にも、「妙だな…」みたいなセリフもあります。

とすると、「妙」と「面白さ」の関係とはなんなのでしょうか?という話にもなります。(コナンくんのように「分かりそうで分からない」くらいをクルクル回っている方もいるかも知れません)

「妙」がすなわち、「面白さ」なのでしょうか?
それとも「なんか違和感がある」みたいな意見が大半でしょうか。

というか、「妙」とはなんなのか?
ググってみると、「卓越して美しく価値のある」的な意味合いが本来のようです。(いくつか意味がありますので、詳細を知りたい方はググって頂ければ、と思います)
語源は「とびきり美しい女性」を表しているとか。(少ない女性、ということで……。フェミニストの方々からグーでパンチされそうですが(笑))

ただ、日本において新たに、「変わっている」とか、「変な」という意味が新たに付け加えられたらしい(笑)。
なんだそりゃ、という話ですが、「均一な集団の中では変わっている人間が目立つ、『和を以て貴しとなす』日本では、『違和感』こそが妙味である」みたいな意味なんでしょうかね……。(これは単なる私の推論ですが)

それはともかく、「妙」がすなわち、「面白さ」と言っていいような気もします。

ただし、確かに「(一般的な)ゲームの面白さ」と言うのは、「妙であること」とはニュアンスとして違う意味合いで使われている気はします。
では、意味合いの齟齬はどこで起こっているのか。

……と考えていくと、「ゲームの評価基準は商品価値によるもの」であり、「ゲームが商品として期待された機能を果たしているか?」という話であり、「面白さ」つまり、「妙」が語源の通り、「価値」に繋がっているとも言えます。
ただし、「ゲームの面白さ(妙)は、商品価値を評価基準としている」という当たり前と言えば、当たり前の結論に戻ってくる。

よって、「妙」の度合いが高いほど、「価値」に繋がっているとも言える。

「『妙』の度合い」?
つまり、「妙」を突き詰めるほど価値が高くなる、ということでしょうか?

では、「『妙』を突き詰めると何になるか?」

絶対的な妙味?「絶・妙」

ではないでしょうか?

したがって、「絶妙な面白さ」と言うのは、日本語として間違っていて、「絶妙=面白さ(絶妙(こそ)が面白い)」と言えるのかも知れない。

「『まるでピタリとハマっているような』『奇跡的なバランスで成り立っているような』ゲームこそが面白い」

だから、スーパーマリオは世界中で大ヒットした、ゲームバランス(レベルデザイン)の優れた日本産のゲームが一時期、世界一になった、ということでしょうか。

答えは足元に転がっていたわけです。
当たり前のことに気がつかなかっただけですね(よくある話ですが)。

ゲームについては、「一時期(あるいは今も)海外勢に押されている」という主張もあるでしょうが、相手も学んでいますし、コンピュータの表現力の向上により、「総合芸術としてのバランス」という論点も拡大しており、現代では、「(より総合的な)商品としてのバランスを問われている」、という印象はあります。

また、「面白さ(絶妙性)というものは理解するもの」であり、例えば、野球ならば野球のルールを理解していないと、「絶妙なプレイ」が出た時でも、「何が面白いのか、完全には面白みが分からない」。つまり、「面白さ」というのは、「主観的な基準は存在するが、共通認識の上で成り立っている」ということにもなります。

「お笑い」の面白さも、「共通認識を持っている間だからこそ通じる」わけです。
「日本のジョークが、イスラムでは通じない」場合もあるでしょうし、「ロシアのジョークが、日本では通じない」場合もあるでしょうし。

そしてゲームに話を戻すと(まだあります)、「カービィ」や「スマブラ」を代表作として持つ櫻井さんの有名な主張として、「ゲームの本質はリスクを冒してリターンを得ること(リスクとリターン)」という言葉がありますが、個人的にはこの言葉の謎もようやくというか、解けたのでありました。
要するに、櫻井さんは天才なので発想がジャンプしているのだと思います(いきなりドーンと本質だけを突かれると凡人は固まってしまいます)。
つまり、「ゲームの本質はリスクとリターンであるが、ゲームの本質的な面白さはそのバランス(比喩的に言えば、配合や色合い?)によって成り立っている」のではないでしょうか?(後半が省略されているのでは?)

もちろん、それでも櫻井理論は「目の荒い議論」であり、クラフト系やアドベンチャーゲームなどはそこからこぼれ落ちてしまうわけですが、私はそれでもいいんだと思います。
なぜならば、これからも新しいジャンルのゲームは色々出てくるでしょうが、「リスクとリターン」、つまり「駆け引き」で表される本質こそが、ゲームの王道であり本道であると思うからです。
逆に言えば、その本質を見失った時、任天堂はゲームの王道を歩むのを止めたと判断しても良いのではないでしょうか?

あー、でもおかしい、と。
自分が知りたいのはそういうことでは無い、という方もおられると思います。

平たく言うと、「自分の作ったゲームはそれなりに面白いと評価されているのに、なぜ売れないのだ?」という話です。
小説や漫画やアニメのクリエーターの方でもそういう方がおられるかも知れませんが。
それが、「面白さの次の議論」であり、有料記事となります。

では、無料記事の読者の皆様、ご静聴、ありがとうございました。

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