では、日本人はアフターコロナの世界でどうやって生きて行けば良いのか?(第四回)

■前振り話

ミーちゃん「ハイ、『では、日本人はアフターコロナの世界でどうやって生きて行けば良いのか?』。お久しぶりの四回目、アシスタントのミーちゃんです」
ネコトク「はい、ご無沙汰しています。どうも。ネコトクです」
ミーちゃん「……随分、間が空いてしまいましたが、どうしたんですか?なんだかテンションも低いし。また中止にするんですか?」
ネコトク「中止はどうかなあ。マネタイズ計画も中止になってしまうなあ。……その辺は追々考えていきましょう。まあ結局、私も自分の生活のために働かなきゃいけないという訳ですよ。あと、正直、筆も進まない部分もあります」
ミーちゃん「なぜ筆が進まない!?」
ネコトク「アタック25の児玉清みたいに言われても。まあ、今回はコーヒーブレイク回ということで、その辺について言及したいと思います」

■グダグダと続く議論

ミーちゃん「『まっさらな状態』とかそんな状態なんですか?それとも、『ついにネタが尽きた』とか?」
ネコトク「前提として、前回までの議論は、今回から始まるはずだった本論の前提の話だったり、単なる景気づけみたいな話なんですよ」
ミーちゃん「……本論は『出来ることからコツコツと』みたいな話だったんじゃ無いですか?」
ネコトク「それはそう。ただ、行動していけるところは行動していく、議論していけるところは議論していく、みたいな話なんですよ。つまり、ボトムアップからの話とトップダウンからの話の二つしようと思ったわけですよ。もちろん、ホリエモンみたいな実践家は『とにかく行動せよ』と言うでしょうし、学者の人達の話は観念的な話になりがちですが」
ミーちゃん「でもまあ、ネコトクさんなりの主張がある訳でしょう?」
ネコトク「……主張というか、『こういうやり方はどうでしょうか?』という話ですね。別に自分の意見に賛同を促しているわけでも無いです。もっとも、『何らかの要素を見落としたりして、大外しする』可能性の方が自分では高いと思いますが。謙虚とかでは無く、自分でもどうかな、と思う結論だし。ただ、それだけだったら、私が赤っ恥をかく、あるいはスルーされる、で済む話ですしね。それを否定した上で、『いや、こういうやり方の方が良いだろう』という話でも良い。要するに問題が解決すれば良いだけだから。ただ、そこに駆け引きやら何やら持ち込む人もいるし、それが人間社会というヤツでしょうし。もっとも、『どういう作戦で行くか』もまとまっていないように見えますが。日本に限らず。つまるところ、『共通認識がかなり成り立っていない』。議論の前提が成り立っていないから、議論が成り立たない。同じ専門家同士でも見解が分かれている訳ですし、別の専門家同士では『お互いの主張のみを交互に行う』みたいなところに行き着くでしょうし。我々は各々で行動原理が違う訳ですから、ある程度の方向性やどこまでがお互いの共通認識として了解出来るかなどをクリアにしないと、相手の言っていることが理解出来ない訳ですね」
ミーちゃん「口上はご立派ですが、じゃあ、さっさと書けばいいじゃないですか」
ネコトク「ただ、『言い方の問題』というのがあるわけですよ。『言い方の問題』については、揶揄とかもしましたが、確かにあるのですよ。『言い方の問題』は問題の本質では無いと思いますが、『共通認識』を作りたいと思うならば、ある程度は尊重されるべきだとは思う。まあ、個人的には揚げ足取りみたいなものはどうかとは思うけど、『相手の(感情面も含めた)同意』を取らないとまとまるものもまとまらないと思うけどね」
ミーちゃん「『言い方の問題』は問題の本質では無いんですか?」
ネコトク「私はそこは問題の本質ではないと思います。と言うか、『言い方の問題かどうか』という問題自体が問題の本質の一つになっているとは思うが。かなり根深い問題ですが。結局、今回はこの辺の議論だけですね」
ミーちゃん「はあ。ミーちゃんには単に一人でウダウダやっているだけにしか見えませんね」

■スープにこだわらないラーメン屋のオヤジに価値はあるか?

ネコトク「そうだなあ。例えば、私は『料理途中の料理(完成していない料理)』というのは、基本的に『お客さんにはあまり見せるべきでは無い』と思う。『見せられるような物で無い物を見せてもガッカリされる』だけだから。見せるとしても、『それなりに完成度を上げた上で見てもらう』方が良いと思う。もちろん、見せ方の上手い人もいる。ただ、『イラストを描く動画』などは、手際よく、パパパッと描ける(ように見える)人がやるから様になるわけで。『ね、簡単でしょ?』と言われても、『す、凄いですね』くらいしか言えないわけですよ。また、『クラウドファンディング』のように『こんなのを作りたいのですが応援よろしく!』みたいに固定客というか、まさに『応援するファン』と実行する人との間に完成のビジョンのブレが無いほど上手く行くと思う。ウィンウィンでお互い幸せになる道ですね」
ミーちゃん「……何が言いたいのか分からないんですけど」
ネコトク「『出来映え』というか、『クオリティ』というのが割と重要かな、と思うわけです。もちろん、自分基準だし、そうで無い人もいるでしょうけど。ただ、自分なりのこだわりが無くなってしまったら、味気なくなると思う。全てがノイズ化してしまうと言うかね……。まあ、『こだわりを無くせ』みたいなお坊さんのような人もいますが、斉藤一人曰く、『こだわらないことにこだわっているじゃないか』という話です。まあ、それは一種の言葉遊びかも知れないが、『スープにこだわらないラーメン屋のオヤジに価値はあるか?』みたいな話で、『別にたいしたことは無いですよ。楽な商売ですよ』と言いつつ、必死で裏で研究しているだろうし(まず間違いなく)、そういう言い草自体、彼なりの美学なのだろうと思う」
ミーちゃん「……ネコトクにとって続ける意味が無くなると?」
ネコトク「『(出来るだけ完成度を上げました、)見て下さい』という場合に、例えば、『一味か二味足りない』ならば、一言二言率直な感想は頂けるかも知れない。しかしながら、『とりあえず、体裁は整えました、見て下さい』だと、『議論の俎上にも上がらない』と思う。『顔を洗って出直して来て下さい』という話になる」
ミーちゃん「世の中、そこまで神経質な人ばかりでは無いようにも見えますが」
ネコトク「実務的な仕事をしている人ならば、分かると思いますけどね。……まあ、結局の所、『こだわり』というのは、それほどカッコ良いものでは無いですよ。『自意識』であり、『煩悩』であるわけだから。『こだわりは良いものだ(例えば、『大人のこだわり』とか)』と商業主義によって意味が上書きされているけど。しかしながら、現実的には、仕事においては『自分の好きなところにこだわって良い』訳でも無い。客あっての商売、需要があっての商売だから。『ではどこにこだわるべきなのか?』みたいな話になるし(なかなか難しい)、『重要な所(だけ)にこだわったら?』みたいな話になるし(これもなかなか難しい)、『重要な所が(特に)職種によって違う』みたいな話になるし(これも(略))、最終的には『茶道』とか、『自然体』みたいになる。でも、ベースにあるのは、『煩悩』であり、『自意識』であり、『生命力』みたいな話になる。結局、生存していくことがベースだから」
ミーちゃん「そもそも何の話でしたっけ?そうそう、『言い方の問題』ですよ。別の話じゃないですか」
ネコトク「『言い方の問題』は問題の本質かどうか、みたいな話ですね。では、それだけ片付けましょう」

■言い方の問題

ミーちゃん「結局、『言い方の問題』で悩んでるんですか、ネコトクさんは?」
ネコトク「なるべく簡潔に言いたい感じだが、ともかく言うと、『言葉』というものは、『現実の一部を取り出して共通部品として使うために簡潔に表したもの』だと思います。何が言いたいか?『言葉が表現しているのは現実そのものでは無い』という話です」
ミーちゃん「……そこから来ますか。まあ、間違いでは無いかな……」
ネコトク「つまり、問題そのものは、言葉に内包されるのでは無く、現実に内包されているわけです」
ミーちゃん「……なんだか、物凄く話を省略されている気がする」
ネコトク「もう少し具体的に話すと、実務的な仕事をされている方なら分かると思いますが、時々、『目の前で起こっている現実が一体何なのか理解しかねる』みたいな現実が起きるわけです。ベテランになるほど、『はて、どこかで見たぞ』となるわけだけど。分かり易く、接客業の例を出すと、『目の前で話されているお客さんが何を言っているのか分からない』みたいな現実が起こる。この場合、『お客さんが発する言葉が問題なのか』あるいは『自分の発する言葉が問題なのか』だけに注目すべきかと言ったら違うわけです。『自分の目の前に広がる現実を総合的に判断して適切な処置を採れるか』が問題なわけです。その『適切な処置』の中に、『言葉の使い方』が入っているわけです。もちろん、最初は自分が何かミスとしたかを疑ってかかるべきですが、『お客さんが間違っている可能性もある』訳です。ベテランになるとその辺の勘所も分かってくる」
ミーちゃん「……いや、それは当たり前の話にも聞こえますが」
ネコトク「ただ、『我が身に起こった出来事』だと初見で上手く対処出来る人はごくごくまれでしょう。だから、経験とかノウハウとか、場数とかが重要になる。確かに、日本語は重要ですけど、『日本語さえ出来ていれば、万事OK』というのは違うと思うしね。インテリの人は本をよく読むが、『本を読んだことで現実を知ったつもりになっている人』も多いと思う。じゃあ、彼ないし彼女の書いた文章に滋養があるか、と言ったら、どうなのかな、という話が例えば、タレブさんの話だったりする」
ミーちゃん「……またタレブさんですか」
ネコトク「いや、そこが問題では無くてね……。別に、彼に異論がある部分もあるし、信者とかではないですからね、一応。じゃあ、現在苦境に陥っている世界最大のヘッジファンド、ブリッジウォーターを率いるレイ・ダリオさんの著書『PRINCIPLES(仕事と人生の原則)』から引用してみよう。『本からの引用じゃないか』と思う人もいると思うが、実務で実績を上げられた方が書いた本はやはり違うと思いました。なんというか、親中国派の方で、私とは考え方が少し違うのだが、思考の流れや着眼点とか、『ああ、こう考えて動いていたのか』みたいな感じがある。書評とか書く人は、もちろん、本の要所や面白いところだと思ったところをピックアップして、簡潔に書いたり、感想を加えたりしているが、まあ、とりあえずの雰囲気を掴んだり、ブックガイドとしては役に立つかも知れないが、『では血肉になるか』と言ったら、また別だと個人的には思う。書評を読んで、本を読んだ気になる方もおられるが。まあ、本人が満足ならば良いのかも知れないが。特に異論は無いです。ちなみに、『PRINCIPLES(仕事と人生の原則)』の前半には、レイ・ダリオさんが自らの半生を綴っている。『(本人曰く)手っ取り早く結論だけ知りたかったら、後半だけ読め』みたいなことも書いてあったが、前半も読んでおくべきだと個人的には思います。面白いので」

 そして、1971年8月15日の日曜日、ニクソン大統領はテレビに現れ、アメリカはドルの金兌換の約束を反故にすると話した。ドルは急落した。政府高官はドルの切り下げはないと約束していたから、彼が話すのを驚愕しながら聞いた。ドルへの圧力に対する根本的な問題には触れずに、ニクソンは投機家を責め続けた。そして、ドルをサポートする動きをとっているかのように言葉を選んでいたが、その行動は正反対だった。「フロート制(固定制をやめてドルを変動させる)にする」とニクソンは言ったが、ドルはフロート(浮く)どころか、石のように海底に沈むに任せ、私には嘘に思えた。それから何十年と、直前まで政府高官が否定しておきながら、通貨切り下げに走るのを見てきた。だから、政府高官が通貨切り下げは行わない、と言っても、私は信じないことにした。きっぱりと言うときほど、状況が深刻で切り下げが実施される可能性は高い。
(PRINCIPLES(プリンシプルズ) 人生と仕事の原則 (レイ・ダリオ (著), 斎藤聖美 (翻訳) 日本経済新聞出版) P30)

ミーちゃん「……」
ネコトク「色々意見を言いたい人もいるかも知れないが、血の通った言葉ですよね。アメリカ政府も生き延びるために柔軟に態度を変化させると考えた方が良いと思いますし。『日本に対しても例外ではない』と考えた方が私は良いと思うが、別に説得するつもりも無いです。それもまた別の話ですし。あと、今現在のアメリカ政府も状況はかなり難しいとは思いますが、対中国も含めて考えていきたいところですね。個人的には、複雑度が上がりすぎて、『(どう捉えて良いのか分からないような)絵にならない現実』みたいなものが増えてきた気もする。コロナもそうですけど。だから、『それをどう絵にしていくか(他の人にも通じるように言葉にしていくか)』、さらに言えば、『絵に描いた餅を現実に合わせて軌道修正しながらどう実現していくか』。つまり、『言い方の問題』というのは大きいわけですよ。逆に、『言い方の問題』の話だけでも、私の場合はこれだけ文字数が必要なわけですね。『ある程度は通じてくれると良いな』位まで語ると」
ミーちゃん「という訳で、まだ次回は未定です。コーヒーブレイクというか、『ブレイクしないように体調管理には気をつけましょうね』みたいな感じでしょうか。では綺羅星☆」


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