では、日本人はアフターコロナの世界でどうやって生きて行けば良いのか?(第二回)

■リアルタイム・ストーリー編集

ミーちゃん「ハイ、『では、日本人はアフターコロナの世界でどうやって生きて行けば良いのか?』。二回目です。アシスタントのミーちゃんです」
ネコトク「ホストのネコトクです」
ミーちゃん「ネコトクさんってホストだったんですか……と、そんなボケはどうでもいいですね。二回目の今回はどうしますか?またゲームの話ですか?」
ネコトク「そうですねえ。まず、プレミアム版で語るはずの『どうしてサードバーティのゲームが通用しにくくなってきているのか?』は今回語れそうな気がする(※今回は語れなかった)。話がある程度含まれてしまう感じなので。替わりと言ってはなんですが、前回のカクヨム連載の『「究極の組み合わせ」論①』の補足をプレミアム版で語りましょう。霊話おじさんの話も収束させる」
ミーちゃん「……もう何でもありですねえ」
ネコトク「まあ、この辺は気になる人は気になるだけだし、付いてこれる人だけ付いてこれると思いますので、プレミアム版で語ればいいと思いました。今回はゲームの話をしません。『スピリチュアルの話をします』」

■では、スピリチュアルの話をしよう

ミーちゃん「ついに出ましたか。神様の話しますか」
ネコトク「今回は神様の話はしません。『スピリチュアルが効用する理屈とその限界』について語ります。一応、私の立場を表明しておくと、『スピリチュアルには世迷い言が含まれる場合もあるが、効用も無くは無い。当然限界はあるが』という立場です」
ミーちゃん「どうせ、プラシーボ効果みたいな話じゃ無いですか?」
ネコトク「そうだね。基本的に、私もプラシーボ効果みたいなものだとは思いますが、プラシーボ効果も案外バカに出来ないかもね、みたいな話です。一応、オカルト系までは行かない話だと私は思いますが、眉に唾をたっぷりつけて読んで頂ければ、と思います」
ミーちゃん「ミーちゃんは簡単には騙されませんよ?」
ネコトク「いいですよ、それくらいの心構えで。まずは『ありがとう』の話ですかね。happy(幸せ)の語源はhappen(出来事が起こる)だ。出来事が起こる事を幸せだと捉えている欧米人はポジティブであり、日本人はネガティブでダメだ、みたいな論調も少し違うんじゃないか、ということで」
ミーちゃん「また小学校の道徳教育みたいな話を引っ張ってきましたね」
ネコトク「ところがどっこい、『善意のこもった・良き日本人・良い子になりなさい』みたいな、そういう話でも無いのです。私もどちらかと言うとそういう話は好きじゃ無いですしね。『無私の日本人』とか『良心的日本人』とか。果たして、そういう言葉を唱えている人達が『無私』だったり、『良心的』だったりするかというとまた別だと思いますしね。私の話はどちらかというと処世術の類いでしょうね。では、心の準備はOKかな?」
ミーちゃん「分かりました。どうぞ」

■「ありがとう」の話から中国論まで

ネコトク「要するに、『ありがとう』は、『有り難う』な訳です。『有り難い』ということは、『なかなか無い』ということで、『ラッキーだ』みたいな意味合いもありますよね。無論、相手に対して、『有り難うございます』と言ったならば、『あなたみたいな人はなかなかいませんよ』『あなたに逢えて良かった(まるでJ-POPですが)』みたいに『相手に敬意を示したり感謝を示したりする、相手を尊重する忖度の言葉』でもあります。だから、言われると嬉しいわけですよね、大抵の場合は。また、『有り難うございます』には、『主語が無い』訳です。だから、相手に対しても『有り難うございます』、お天道様に対しても『有り難うございます』、自分に対しても『有り難うございます』という三方良し的な発想になりますよね。まず、多分、ここまで考えている人はあんまりいないとは思いますが」
ミーちゃん「……んー。確かに、そこまで考えている人は少ないとは思いますが、正直なところ、『だからどうした?』という部分もありませんか?」
ネコトク「そう。だからプラシーボ効果みたいな話にもなってくるわけです。プラシーボ効果というか、『自己暗示』的な話です。まず、日本語って素直な言語なんですよ。だから、『暗示をかけやすい』訳です。『言霊』とか言われてますが。比較として、中国語を使うと……別に差別的な話では無いので、ポリコレ棒を取り出すのは止めて下さいね、ミーちゃん。例えば、中国語は欧米人が聞くとちょっとユーモラスに聞こえるらしいです。まあ、日本人にしたって、リアルタイムで中国人が『アイヤー!』とか言っているのを聞いたら、プッと来る人もいると思いますし」
ミーちゃん「中国語は素直じゃ無いんですか?」
ネコトク「そうだねえ。これは単なる私の推測だが、前提として、『中国大陸は物凄く競争が激しい』らしいです。その理由としては、『人数が物凄く多い』からそういうことが起こるらしい(多分、橘玲さんの説)。中国から帰化した石平さんが、『中国大陸で関ヶ原の戦いが行われたら、血で血を洗う戦いになっていただろう』みたいなことをおっしゃっていた記憶があります。別に、『関ヶ原の戦いが呑気な戦いだった』という話とかでは無くて、当時の日本人としては、一生懸命戦ったと思いますけどね。それだけ中国大陸という場所は凄まじい、という話です。あと、引用元が保守気味な人が多いのは、一つのバイアスとして認識しておいて下さい」
ミーちゃん「中国大陸という場所の凄まじさが中国語の素直じゃない部分に繋がってくるんですか?」
ネコトク「微妙にサイコパスっぽい人格を作り上げる部分は無いかな、とは思うけどね。ハイ、ポリコレ棒はまだちょっと待って下さい。妙な明るさがあるじゃないですか、中国語って。『一方では笑いながら、一方では相手をやっつける』みたいな部分が問われたから、そういう人格を作り上げる必要があった、と考えると個人的には腑に落ちましたが」
ミーちゃん「でも、中国の方の人格を微妙に尊重していない気もします」
ネコトク「……まあ、言わんとしていることは分かるが、個人的には、『違う文化圏の人達』だと認識するべきだし、『日本人の常識の尺度では推し測ってはいけない部分もある』と思います。『多文化主義』ということはそういうことだからね。私としては、『完全に理解し合える』みたいな幻想は捨てた方が良いと思う。恋人同士ならばともかく。相手の文化に対しても礼儀を守り、一歩引く必要がある。日本人同士だって全員、意思疎通出来ているかというと怪しいと思いますし」
ミーちゃん「うーん」
ネコトク「じゃあ、例を二つあげよう。一つ目。台湾から日本に帰化した金美齢さんは、『中国語(多分、北京語)を話す自分と日本語を話す自分は人格が違うことに気がついた』みたいなことをおっしゃっていた記憶があります。『日本語を話す自分は大人しい感じになる』とか。二つ目。中国人研修生による殺傷事件とかたまにありますね。まあ、中国人に限りませんが。逆に、『その辺に日本人の特殊性が出るし、日本人相手と同じ感覚、それ以下の感覚で相手にしたことが裏目に出るのではないかと思うし、他国は他国で別の尺度(キレポイント)を持っていることを尊重していない』と思います。『話せば分かる』とか『一緒に酒を飲めば分かる』とか『皆同じ人間だ』とかまあ、そういう部分はあるとしても、そのやり方にも限界があることを認識するべきだ思います。『そのやり方に限界があるから現実的な戦争が起こっている』訳で」
ミーちゃん「……」
ネコトク「もう忘れている人もいるようですが、コロナ騒ぎの前に、『第三次世界大戦』騒ぎというのもあった訳ですよ。日本ではあまり報道されていませんでしたが、世界ではかなり騒いでいました。トランプさんが恐らく、最小限の犠牲で食い止めましたが。もちろん、『犠牲が出ているじゃないか!』と言えば、その通りですが、トランプさんはベストを尽くしたように私は思えます。あー、余談が長すぎたかな。話を元に戻します」
ミーちゃん「……お願いします」

■他の文化圏の話


ネコトク「じゃあ、中国語ではなく、他の文化圏の話もしましょう。まず、インドの話。『インドも中国に負けず劣らず人口が多いのに比較的社会が安定しているのはカースト制度のお陰だ』と思います。だから、『カースト制度』もマイナスの部分ばかりでは無い。もちろん、『下位カーストに対する扱い』は苛烈を極めるわけだが。それは日本社会を鑑みても少しはどういう意味かは分かるでしょう。まあ、いわゆる『上級』の人には可視化されないかも知れないが、日本に限ったことではないね。今の日本(には限らないが)のインターネットが常時闘争状態なのも、『それだけインターネットがフラットだから』とも言える部分もあるのでは無いかな。さらに続きます」
ミーちゃん「……どうぞ」
ネコトク「欧米圏の話をすると、イエス・キリストの母である『マリア』の呼び方などに、各言語の特性が微妙に表れていないか、と思います。例えば、フランス語では、『マリー』。華やかな感じですね。ガルパン最終章にも出てきましたが(続編は気長に待ちましょうか)。英語だと、『メアリー』。地味で実用的な印象。劇場版幼女戦記の『メアリー・スー』がなぜあれだけ強いのか、の間接的な理由でもあるでしょうし(直接的には、『スタートレック』の二次創作小説が元ネタでしょうけど。こちらも続編は気長に待ちましょうか)。だから、名前から受ける印象というのは欧米でもそれほど変わらない気もします。まあ、私の感覚がズレていなければ、の話ですが」
ミーちゃん「……んー。『ありがとう』の話からも随分ズレてきた気もします」
ネコトク「そうですね。もう少し話を戻しましょう」

■認知歪みハック


ネコトク「だから、『言霊』文化圏の日本は『ただ相手の話を黙って聞く人が多い』気もしますね。反論とか余りしないし、自分の意見もあまり言わない。ウザいのは嫌われる。察しろ、と。インターネット上はまた別かも知れませんが……。まあ、ともかく、『ありがとう』と言ったり言われてたりしていれば、自動的に反復による強化学習で『有り難い、なかなか無い、ラッキーな体質』に変質していくわけですね、理屈としては。慣れとは恐ろしいものです。では、その恐ろしい部分を逆利用しましょう、というのが習慣化、という話でしょうしね。アクロバチックなことでも軽々と行えるようになる。また、斉藤一人さんが言っていましたが、プライドの問題なのか、『ありがとう』を言うことに抵抗感がある人もいるらしい。あと、マシンガンのように『ありがとうございます!ありがとうございます!』と早口で連発してもあまり暗示として効果は発揮出来ないわけで、『自然体でさり気なく言った方が暗示にかかりやすいし、言い方も上達する』という話にもなります」
ミーちゃん「道徳的な話とはほど遠い話ですね」
ネコトク「まあ、『有り難そうな顔をしていれば何かやってあげたくなる人もいる』訳ですし。また少し余談ですが、近所で、保育園の子供達が保育士さんに連れられて道をよちよち散歩しているわけです。列の後方には下に車輪が付いて蓋がない大きな箱を保育士さんが後ろから押していたりするのですが、おそらく、歩くのもあまりおぼつかないであろう小さな子供達が箱の中から顔だけ出して周りの風景を見ています」
ミーちゃん「のどかな風景ですね」
ネコトク「はい。で、横断歩道を渡るときなどに、保育士さんが大きめの黄色い旗を出して渡るんですが、そこには『ありがとうございます』と書いてある。運転手としては、『どうぞ、どうぞ』という感じじゃないでしょうか。先に『ありがとうございます』と言ってしまうという。スピリチュアル系の人は大体は何を言っているかは分かると思いますが」
ミーちゃん「なるほど。言いたいことは分かりました。それでこの話はお終いですか?」
ネコトク「もうちょっと理屈の話をしましょうか。『ありがとう』ということで『ありがたいこと』にアテンション、注意が向けられるわけです。で、何回も言っていると、周囲の『ありがたいこと』が浮かび上がってくるように見える、とまでは行かないまでも、明らかに脳のリソースはそちらに使われるわけです。QOL(クオリティ オブ ライフ)は向上します。また、別の言い方をすると、『認知歪み(主観)の特性を逆利用している』とも言える。つまり、『認知歪みハック』と呼べる部分もあると思います。というか、スピリチュアルって、魂の問題である以上、色々仕掛けはあるかも知れませんが、『認知歪み』だと思うんですよ、要するに。もちろん、ここからAIの話に繋げることも出来ますが、SFめいてきますし、止めときましょう。『そのままの自分でいたい、自分を変えるようで嫌だ』という人は別にやらなくてもいいと思うしね。『自分の精神構造を変化させても幸運をつかみ取るのだ』という人はやればいい」
ミーちゃん「まあ、強制は出来ないですしね」
ネコトク「あと、『ありがとう』の話の限界ですが、どれくらいまで『有り難いか』と思えるかという部分で、人間としての器が問われる、と思います。『あの失敗があったから、今回成功出来た。有り難い失敗だった』みたいな話はスポーツ選手とかは良くしますが、仕事をする上でも似たようなものだと思いますし、ゲームも同様でしょう(笑)。同じ失敗を繰り返さずに学ぶのが利口だ、という話です。じゃあ、『今回のコロナ渦は有り難い話だったのか?』あるいは、『東日本大震災は有り難い話だったのか?』。もちろん、それぞれに『学びはあるか?』という部分もありますが、私自身としても、『コロナ渦や東日本大震災を有り難い話として受け取れる度量はまだ無い』という感じですね。ある年配の方にこういう話をして質問してみたが、『コロナ渦は特に年配の自分には現実的な脅威なので、有り難い話とは思えないし、自分にはそういう度量は無いね』という話でした。もっともだな、と思いましたが。ただ、何とか教訓を得て奮闘しようとするのが人間であり、それを賞賛するのが人間賛歌だとは思いますが」
ミーちゃん「という訳で、『ありがとう』の話でした。今回、定期的に更新つもりは無い、と言いながらも、キッチリ一週間後でしたね。次回もどうなることやらノープランだそうです。ではではまた次回気が向いたらお会いしましょう」

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?