<ショートストーリー>池のぬし
久しぶりに帰省して、せっかくなのでそこらへんをちょっと歩いてみることにした。お昼までに戻ってくれば墓参にはじゅうぶん間に合う。
ついでに供花を買ってきて、スーパーで売ってるから、という母の声を背中に聞きながら、玄関の適当なスニーカーに足を突っ込んだ。
ところどころ新しい家に建て替わっている住宅地を抜け、通学路をたどってみる。少し坂をのぼるとみえてくる調整池は以前のままだ。危険だから近づいてはいけないといわれていた。江戸時代、田んぼの灌漑用に造られた池とかで、ぐるっと外周をめぐると2kmくらいある。周囲は散策路として整備され、休日の昼などはわりと人が行き交っていた。
ぽつぽつ植えられている桜は葉桜になっていた。途中の東屋に設けられた藤棚にはみっしり藤花の房が下がり、熊蜂が群がって羽音をうならせている。子どもだけで行かないようにといわれ、素直だったものだからこのへんをあまり通ったことがなく、思い出はない。
いや、そんなことないか。
小学生のころ時々遊ぶ友だちが、池の近くに住んでいた。名前はミツル。放課後に彼の家に何度か行ったこともある。中学では部活が違って疎遠になったが、ファミコンするかマンガ読むかして過ごしていた。
家にあがると、奥からおばあさんが出てきておやつを皿に盛りながら「ミツル、学校はどうだった?」と聞いてくる。ミツルは、ちょっと学校では見せない顔で、ぶっきらぼうに何かモゴモゴ答えていた。
「池には、”ぬし”がいたんだよ」
と、ある日おばあさんが言った。学校の怪談なんかがブームだったから、「ばあちゃん、なんか怖い話知らない?」とか、話をふったのかもしれない。
「昔はね、結婚式やお葬式はみんな自分の家でやった。大勢人が集まると、お膳やお椀も、たくさん必要でしょう。そういう時は、ほしい食器の種類と数を紙に書いて、池に投げとくと、翌朝にはそのとおりの器が水面に浮かんでたんだよ。
使ったらきれいに洗って池に投げ込んでおいた。そうやってずっとみんなでお願いしてきたんだけど、戦後まもなくくらいかねえ、誤って借り物ではないフォークとナイフを一組、池に投げ入れてしまったらしい。
”ぬし”は金っ気を嫌うからね。あんな形のものが水底に落ちてきたら、攻撃されたと思ったんだろうよ。もう二度と、食器は貸してもらえなくなった。
それに、よそから食器を借りるほど人が集まる時代でもなくなったからね。さんざんお世話になったのに、”ぬし”には悪いことをしたね」
まあまあ不思議な話ではあるものの、期待した身の毛がよだつオカルトではなかった。ミツルは「知ってるー何回もきいたー」とつまらなそうにしていた。
昔からそうだが、池の斜面はコンクリートで護岸され、そんな言い伝えの面影はない。柵に「釣り禁止」と札がかかっていても、ここで何か釣れるとも釣りたいとも思えなかった。
なんとなく、ミツルの家のほうへ足を運んでみたが、池のまわりは再整備があったのか全部新しい家に建て替わり、知らない道路まで新設されている。どのあたりに家があったのか、すっかりわからなくなっていた。
スマホから、池の名前で言い伝えを検索してみても、おばあさんが言っていたような話はまったく出てこない。孫たちから怖い話をねだられて適当につくったのか? いやミツルはうんざりするほど何度も聞かされていたようだった。
この後、墓参の花を買いに行ったスーパーで偶然ミツルと再会…とかそんなことはまったくなく、祖父の七回忌は無事おわった。食器をどこかから借りることも当然なく、お寺近くのそば屋で会食して解散した。
ただ、今になって、ミツルの家の屋号は「皿屋」だったな、と思いだしている。うちの近所の古い家は親戚じゃなくてもみんな同じ苗字なので、それぞれ屋号があるのだ。
あれは、ミツルの家だけに伝わる家族の物語だったのかもしれない。
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