亡き父に捧げる挽歌/ある歌人神官がみた明治(7)
明治11年、数え5歳で父を亡くした葦の舎あるじ。神道の祖霊祭に則って明治30年に二十年祭を執り行った際の歌が残っている。
貌(かお)だに知らで 別れしこの身
葦の舎あるじの父は、おそらく宗像大社最後の学頭だった。
明治3年に学頭職を辞し、遠賀郡の中間小学校へ赴任。物置から出てきた略系譜だけで知れることは多くないが、『遠賀郡史』をひもとくと、中間小学校の初代学校長だったとわかった。
戦前の福岡県立図書館の郷土資料の目録の中には、彼が遺したなんらかの草稿、「見聞雑記」