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絵に対する評価

絵(イラスト)ってさ、自分の描きたいように描くのが楽しいんだ。
でも、絵を描いて稼ぐとなると顧客の注文どおりに描かなければならない。
それはそれなりに楽しい。
これまで描いたことのない事物を描かなければならなかったりするから成長にもつながる。

私の絵は自分なりに練習をして(描くときは毎回練習である)そこそこ見れるようになった。
しかし、大きさのバランスがイマイチだったなぁ〜とか、ここの手の位置おかしくないか?などと思いつつも手直しが面倒でそのままブログにアップしてしまう。

絵の評価って何なんだろう?
描いた本人ではなく他者が評価するわけだけど、何を基準に評価をするのだろう?
と、そんなことをシャワーを浴びながら考えていた。

評価するひとはこれまでの経験や知識という枠(偏見ともいうかもしれない)を通して評価をするのだと思うのだ。
てことは、その枠からはみ出た部分は評価できない。
つまり、枠からはみ出たらヘタクソだと評価されるのではないだろうか?

だが私は思うのだ。
そもそも絵=アートは自由なものだ。
決まった基準なんて無いはずなのだ。

絵を勉強しようかなと思うことはある。
でもそうしたら、講師が思う理想の描き方を教え込まれるのかなぁ〜と。
講師が思う上手な絵ってこと。
たぶんそれはその講師の描き方だ。
それを教え込まれてそれが正しい描き方なのだと刷り込まれたら、絵から自分らしさが無くなってしまうんじゃないのか?

ネット上にはたくさんのクリエイターのイラストがある。
みんなアプリを使いこなして上手だなぁ〜と思う一方で、似たような絵だなぁ〜と思うイラストがたくさんある。
何かで描き方を勉強したのかな?
今はこうゆうタッチが好まれるとか思って描いてるのかな?
そこに個性はあるのかな?

私は美術なんて勉強したことないから何の知識もないけど、そのひとから創造されたものはアートだと思う。
そして、他人からあーだこーだと好き勝手に評価されても、創った本人が「良い」と思えば本人にとっては「良いもの」なのだ。
良いものが創れればクリエイターはとても満足できるし、心地よい達成感に満たされる。
それを他人が低く評価しようが「うるせぇ!オレが良いと言ってるんだから良いのだ!」というのがアートなんじゃないだろうか?

つまり、アートとは本来、他人に評価されるべきものではないのだ。

しかし、他人の評価を気にして創り出すときはその期待に応えようとしてしまう。
まさに絵で収入を得ようとする場合がそうだ。
自分の描きたいものではなく顧客の期待を予測して絵を描かなければならない。
雑念が入ったものになり、純粋なアートではなくなってしまうのだ。
しかし絵で稼いでいこうと思ったら、そうしないとお金という評価にならないのだ。


あ…私の考え事を文章にしただけなのでオチはありません(笑)
ちなみに私の絵はアートだとも思っていません。




このnoteとは違うテイストのイラストブログをやってます。


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