『ヒーローショー わたしが躓いたすべてを当事者研究から眺める』第1章.16

舞台も後半にさしかかろうとしていた時、演出で舞台と会場内が暗転するシーンがあった。その時、私はそれまで感じたことのない横に揺れるようなぐにゃりとした目眩を感じた。あれ、おかしいな?今日体調良かった筈なのに…。ドキドキし過ぎなのだろうか、と最初は思った。けれど、それは目眩ではなかった。暗転から、舞台スクリーンに映像が映し出された時、会場全体がざわめきだしました。確かに映像は良く出来たものだったのですが、ざわめきの原因は他にあったのです。舞台が明るくなり、役者さん達が出てきてしばらくお芝居を続けていた時、私ははっ!と気付きました。天井からぶら下がっている照明のライトが、全部同じ間隔で、かなり大きく揺れていたのです。更に、目眩は続いていたから、
「あ!目眩じゃない、地震だ!」
と咄嗟に思いました。会場全体のざわめきが大きくなる中、それでも役者さん達は懸命にお芝居を続けていましたが、ついに舞台袖からスタッフさんが何人も出てきて、舞台は中断。会場の証明が明るくなり、
「しばらくお待ちください」
というアナウンスが聞こえた。それからしばらくして、
「只今、大きな地震がありました。5分後に舞台は再開致します。」
というアナウンスが流されましたが、会場はざわめいたままだった。大きい地震って、大丈夫なの?と、私も少し不安にはなったけれど、
「まあ再開出来るみたいだし、たいした地震じゃあないのかな」
と思って、再開した舞台をまた観はじめました。しかし、すぐ後にまた目眩のような嫌にゆっくりとした揺れが起きて、また証明ライトが激しく揺れだしました。お芝居はまたしても中断になり、このタイミングでやっと地震の大きさがわかったのです。
「只今、東北地方で、震度7の地震がありました。」
というアナウンスに、会場内のお客さんがどよめきだしました。震度7、というアナウンスが繰り返され、悲鳴に近い声をあげるお客さんまででてきました。舞台はそこで中止になり、最後に舞台中央に仲間由紀恵さんが一人で出てきて、舞台が中止になることへの謝罪と、落ち着いて気を付けて帰ってください、というような内容を私達に話されました。そうして最後に館内アナウンスでも、お気を付けてお帰りください、といった内容が繰り返される中、ぞろぞろと会場からロビーへと出て行くお客さんに混ざって、私もとりあえずロビーへ出ることにしました。そしたら、ロビーもエスカレーターも見たことがないくらいに混雑していました。地震で緊急停止したものの、ほどなくして動き出したエスカレーターに人がごったがえしていたし、エレベーターは危険なので使用を止められていました。私は地震の怖さと、改めて見る人の多さに今度は本物の目眩と吐き気がしだしました。エスカレーターに、あんなに沢山の人が乗ったら危ないじゃない!と、とてもエスカレーターには並べなかった。沢山のお客さんが乗ったエスカレーターが崩れ落ちるんじゃないかという想像が頭をよぎり、それでとても怖くなり、代わりに別の場所にある階段を使って、遠い地上まで降りることにしたのです。何故だかみんなエスカレーターばかりに並び、階段で降りる人は見かけなかった。階段は、まるで無限に続いているんじゃないかというくらい、長く感じました。

やっと地上に降りれた時、怖さで息が浅くなり、足もガクガクだった。周りの風景と言えば、カフェやマクドナルドで何食わぬ顔でそれぞれの時間を過ごす人達ばかりだった。どうしてあんなに揺れたのに、みんな平気なのかわからなかった。だけれど確かに揺れたのだ。私は今までにない大きな地震があったことで、しばらく怖くて電車に乗れずに屋外のベンチに座って風を受けながらどうにか気分を落ち着かせようと必死だった。ほのかに、阪神淡路大震災の時のことを思い出していました。その時、地震=人が沢山死ぬ、という考えが頭の中を占領していました。実際、父方の祖母を阪神淡路大震災の時に亡くしていたから、そういう極端にネガティブな恐怖感を地震というものには感じていたのです。
しばらく休んで、電車も問題なく動いているのを確認して、無事帰路へと着きました。帰ってから母に、地震で会場が大きく揺れたことを話すと、
「私は行かなくて正解だったね」
と言った。確かにあれでは、車椅子の母は最後まで帰れなかっただろう。足を痛めたのも、虫の知らせだったのかな、と母は言っていました。
その日から毎日、テレビでは、震災の様子ばかり流され、私もとても長く気持ちが落ち込みました。毎日悲惨な状態をテレビで見ていたけれど、現地ではもっと、カメラには映せないようなことになっているんだろうな、と想像しただけで、毎朝憂鬱になった。

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