『ヒーローショー わたしが躓いたすべてを当事者研究から眺める』第1章.15

まず、私はパチンコやメダルゲームもやったことがなかったし、タバコの匂いも嫌いだった。尚且つ、それまでにはなかった「メダル回収」という力仕事や、逆に機械にメダルを補充する作業、エラーの出た機械のエラー解除や故障の修理など、新たに覚えなければいけないことばかりだった。カウンターでのお客さん対応やメダル清掃、メダル箱作り(それぞれ決められた枚数のメダルを容器に入れて積んでおく)も重要な作業だった。真っ暗なフロアで、音もとてもうるさく、機械はびかびか眩しいし、なんとストレスフルな場所だろう!とその時思いました。またしても「仕事辞めたい病」が湧いてきたのですが、先輩スタッフ達や社員さんに一から仕事を教わらなければならないので、頭をスポンジのようにしていなくては…とも考えていました。プライズコーナーでの仕事も、まだ全部は完璧に覚えきれていないまま、新しいことをどんどん覚えていく作業はとてもつらかったです。また、ゲームの機械がセンサーなどの誤作動で度々エラーが出るのがデフォルトなのにも驚きました。なんちゅう面倒臭いことだ!と思いながらも毎日機械とお客さんの間を行ったり来たりしていました。時には機械の故障がどんなものかを覚える為に、こんな頼りない私に修理の仕事が回ってくることもしょっちゅうだった。インカムで他のスタッフや社員さんに指導を受けながら、狭い機械の中に潜り込んで、小さな螺子を取り外してバラしていき、何処がどんなふうになっているのかを覚えながら修理していくのは、とても難しかった。しょちゅう大事な螺子や部品を落っことして失くしてしまったりしていた。そんな時の為か、カウンターにはいろんな工具と一緒に、螺子の入った容器があったりするので、今度はその螺子の山から代用出来そうなものを探し出して、作業を再開したり…螺子ひとつ探し出すのに手間取っている間に、他の接客対応に追われたり…。もともとが機械音痴な私は結局、仕事を辞めてしまうまでの間には、すべての仕事を覚えることは出来なかった。時には長年勤めている先輩達でさえ難しいエラーや修理作業もあったので、無理に全部覚える必要はなかったのだけれど、ここでもまた、「やるからにはきちんとしないと思考」が頭の中で作動し、日々仕事を覚えられない自分を責めてしまっていました。
この頃からまた、なんとなく疲れが取れなくなったり、夜眠れなくなったりし始めてきました。音がうるさいせいなのか、頭を締め付けるような酷い頭痛にも悩まされました。そうしながらも、またもや「なんとかなる」と自分の体調の変化から少し目を逸らしていたのです。
メダルコーナーに移って一年程経ったあたりからは、作業にも一部では慣れてきていたし、まだまだ難しいことばかりだけど、常連のお客さんともなんとなく仲良く話せるようにもなってきたし、大丈夫…と思っていました。何より、あれだけ声も出せないくらい人見知りだった私が、当時積極的にマイク放送を任されてやっていたことも、自分の中ではすごいことだと思っていました。お店のイベント告知や案内だけでなく、
「○○○の3番席のお客様、メダルジャックポットおめでとうございまぁーすっ!」
のようなマイクパフォーマンスまでテンション高くノリノリでやっていました。いつしかマイクが面倒だったり恥ずかしかったりして嫌がる先輩スタッフ達に、どんどんマイクの仕事を回されるようにまでなっていました…。うまく出来ていたかはわからないけれど、お店としてはやらないよりもやって盛り上げたほうが良いみたいだったので、とにかくテンションをあげてマイクを使って喋っていました。仕事はしんどい、けどマイクでは誰が聞いても楽しくなるように喋らないといけない。なんだかそんなギャップもあったけれど、考えないようにしていました。ある日には、「リラックマ来店イベント」で、なんと、着ぐるみの中の人もやったりしました。(リラックマの中身はリラックマではないこともあるのだ)
ぬいぐるみが大好きな私としては幸せ過ぎる仕事だったし、楽しかった。日々機械やメダルに触れて手を真っ黒にして働いていた私にやってきた、ささやかな癒しだった。

そうこうしながらも、日々体調はおかしくなっていっていたし、引きこもっていた時のようなネガティブな思考にも頻繁に陥るようになっていきました。
いつだったか忘れてしまったけど、この頃にはもう初めて付き合った彼氏とは別れていて、別の好きな人と仲良くしていました。その彼とも音楽がきっかけで知り合ったのですが、彼はメンタルにも悩みを抱えた人だった。お互いに音楽の話や、心の中の不安などを話し込んだものだったけれど、前の彼氏みたく、ただ一方的に愚痴をぶつけられる相手ではなく、どちらかと言えばお互いの悩みやつらさを共有するような感じになっていました。彼は対人恐怖と抑うつ状態で悩み、心療内科へ通院していました。私も病院へ行ったほうが良いかな?と考えたりはしていたけれども、仕事の忙しさや、
「医者なんて信用出来ない」
「私なんかが病気な訳ないじゃん、もっとつらい人沢山いるのに」
といった間違った価値観から、心の中のもやもやした感情や体調不良などを、半ばほったらかしてしまっていました。ほったらかしながらも、原因のわからないイライラできいきい喚いたりもしていました。その時の私は、なにかうまくいかないことがあると、
「超欝だわー」
「どうせ私はメンヘラだもんな」
などと言ってマイナス思考に逃避してもいました。
2011年の3月、両親が大阪まで、仲間由紀恵さん主演の舞台を観に行くことになった。夫婦だけで出かけるのなんて、母の通院以外特になかったのだけど、父が知り合いから舞台のチケットを2枚貰ったということで、母を誘ったのです。私も仲間由紀恵さんの大ファンなので、とても羨ましく思ったのですが、これは何十年振りかの夫婦デートになるので、「私も行きたい!」という気持ちを、最初は堪えていました。
しかし、舞台前日、お風呂あがりに母が転倒して足を痛めてしまうというトラブルから、母が足が痛過ぎて舞台に行きたくないと言い出したのです。それで楽しみにしていた父は癇癪を起こして母に怒鳴ったりしていたので、すかさず私が、
「じゃあ代わりに私が行ってくるよ、チケットもったいないし」
と言ってチケットをちゃっかりと貰いました。父はどうしても母と行きたかったらしく、
「俺はもう行きたくないから一人で行ってこい!」
と拗ねてしまったので、私ひとりで観に行くことになった。仕事場や家で鬱々としていた時期にやってきた、ささやかな楽しみでした。
 舞台会場は、大阪上本町の駅ビルの六階にある「新歌舞伎座」で、「テンペスト」という作品のお芝居だった。初めての舞台鑑賞に、私は当日朝からほんとうにドキドキしていました。会場の売店やロビーは、どちらかと言えば年配のお客さんで賑わっていました。みんな売店でお弁当を買い、開演時間まで席に座って食べているようだった。私の会場での席は三階席の前列のあたりでした。舞台が始まると、更にドキドキは高まった。仲間由紀恵さん本人が目の前でお芝居されてる、すごい…!と完全におのぼりさん状態だった。舞台で繰り広げられる物語、ひしひしと伝わってくる空気感に圧倒されました。仲間さんの凛としたお芝居は圧巻だった。

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