『ヒーローショー わたしが躓いたすべてを当事者研究から眺める』―第一章.06

中学三年の後半といえば、忘れもしない、出来やしない、高校受験シーズンだ。もちろん私も受験生だったけれども、やっぱり勉強は苦手なままで、公立の普通科だと、当時の県内最低レベル、尚且つガラの悪い生徒ばかりが集まると噂されていた高校にしか入れる見込みはないだろうと担任から言われていました。けれど私は普通科など最初から眼中にはなくて、絵の勉強がしたくて美術科専攻の学校を志望しました。しかし何度も書くように我が家はとても貧乏だった。美術科のある私立への入学は出来ないと父から言われてしまいました。けれど担任の先生との話し合いでは、私立の美術科を滑り止めとして、本命を公立の美術科として受験することになりました。
 それから私は部活以外の時間を割いてもらってまで、美術の先生二人に、デッサンや、クロッキーなどの描き方の指導をしてもらった。毎日毎日、美術科のパンフレットを眺めながら、ごりごりデッサンに励んでいました。その時私の頭の中ではもう高校入学式の妄想が進んでいました。明るい未来が待っている様にしか感じられなかった。肝心の必須科目のことは頭からすっこ抜けていたけれど。
 そして、結果としてはまず滑り止めだった私立に無事、合格出来ました。まだ寒い冬の時期だったと思う。そのことで有頂天になった私は、もうその私立の高校へ入学する気満々だった。しかしその後で受けた公立美術科の入試の絵の課題がとても難しく、必須科目も苦手だったこともあってか、不合格に…。合格発表の日は、最悪だった。まるで漫画かドラマの中の出来事みたいだった。その日、受験試験中に知り合った女の子と仲良く並んで、発表結果を眺めていた。必死に目を凝らして、自分の受験番号を探した。仲良くなった女の子との、新しい学校生活、楽しい楽しい学校生活の為に…。けれど結果は、彼女の番号はあったけれど、その次にくる筈の私の番号は、無かった。他の場所も探したけど、何度見ても、結果は同じ。私の番号は無かった。隣で女の子が、お母さんと喜んでいた。私に振り向き、ねえ、あったよね?と笑いかける。私は、首を横に振った。彼女は気まずそうな顔をして、私になにか慰めを言った気がしたけれど、覚えてはいない。彼女はすぐ、ウキウキした表情に戻って、
「じゃあ、私、お母さんと入学手続きがあるから、ごめんね。友達も待っているし。じゃあ、またね!」
と言ってお母さんと2人で去って行った。友達が待っていて、いいな、と思った。付き添いに誰か居て、いいな、私のお母さんは、車椅子だから、来れないよ…。またね、って、私達、連絡先もまだ、交換していなかったよね?また、なんて、もう二度と、来ないよ…。
そんなふうに思いながら呆然と突っ立っていたら、急に雨が凄い勢いで降ってきた。天気予報には雨という文字は無かったのに。だから私は傘を持って行ってなくて、土砂降りの中を、バス停まで寄る辺無いまま歩いた。バスには、合格した子達ばかりが乗っていて
「私、○○○っていうの、よろしくね!」
「学校が始まったら、同じクラスメイトだね!」
「ねえ、メールアドレス交換しようよ!」
といった、嬉々とした会話で溢れていました。落ち込んでずぶ濡れで凍えている私の耳には、心には、痛すぎるくらい、刺さった。
バスを降りて電車に乗って、雨に打たれながら自転車で家まで帰宅しました。母に、不合格だったことを告げたら、特にこれといってなにも返事はかえってこなかった。雨でびしょびしょだったことを言われた程度だったように思う。帰宅してすぐ、お風呂を沸かした。その間に、担任教師から、電話がかかってきた。出ると、結果を聞かれたので、不合格だったことを話しました。その後は、なにか励まされた気がするけれど、よく覚えていない。私は嘘で笑って、大丈夫です、と答えた。正直、本当に嘘だった。付き添いも居ないまま、たった一人で発表を見に行ったのも、待っていてくれる友達が居なかったことも、新しく知り合えた女の子との縁が切れたのも、全然大丈夫じゃなかった。電話を切って、お風呂に入ってから、独りで静かに泣いた。声も出さずに。

でも、私立は受かったんだし、当然、そっちに入学していいんだよね?と私は思っていたが、それは甘かった。受験シーズンの裏で、家庭内は予想だにしなかった事態になっていた。なんと、受験シーズンの半年前に、父が長年勤めていた車の整備工場と大揉めして辞めてしまっていたのです。私と兄が知らない間に父は完全に無職状態だったことになる。更にその半年間の生活費として、サラ金から借金を繰り返し、終いには返済が出来なくなって、建てた家のローンも半年間滞納していた為、私が公立美術科に落ちてしまったその日から僅か一週間後には、一家で家を出て行かなければならなくなっていた。更に、同居していた祖父が、糖尿病の悪化で入院していたのだけれど、こんな時期に祖父が亡くなってしまったのです。何という不幸事の嵐だろうか。一週間後には家を出払わなければいけないというのに、移り住む住居の確保さえ出来ていないと父は言う。そんな父からは、
「家が見つからなかったら、一家解散で全員ホームレスだ!」
と言われた。なんということだろう…。受験に落ちて帰って来たその日の夜にそんな重大発表が下されるとは…。これでは高校受験などやっている場合ではない。更に追い討ちとばかりに父から、私立なんて最初から入学させられない事前提で受験させたんだ、公立の美術科が駄目だったんだから行くなら普通科にしろ、というようなことまで乱暴に言われました。またしても土壇場での真相の暴露。
「じゃあなんで私立受けさせたんよ!ぬか喜びさせやがって!」
と私は泣き喚きました。私のあの毎日のデッサン特訓は、私の努力は何の為だったんだ!とも叫んだ。なにせ両親は私が美術科へ行きたがっていたこと事態、良い印象を抱いていなかったようだったのです。怒って当然だと思った。しかも一家が置かれている状況では、この先普通科だろうがなんだろうが、受験どころではなかった。明日の生活さえ危機的状態だったのだから。とにかく普通科の受験までにはまだしばらく時間があるから後回しにして、今すぐ荷物をまとめろ!という号令が下った。

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