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孤立は悪いことなのかに?

PTSDとCPTSDを区別するのはその臨床症状である。PTSDは
①再体験症状
②回避症状
③脅威の感覚の高まり

という中核的な3症状カテゴリーの症状をそれぞれ有し,それが機能障害を伴って続く場合に診断される。
一方で,CPTSDはPTSDの3症状カテゴリーに加えて,自己組織化の障害(disturbance of self–organization:DSO)とよばれる3症状カテゴリーの症状,すなわち
①感情調整の困難(affect dysregulation)
②否定的な自己概念(negative self–concept)
③対人関係の困難(disturbances in relationship)

を全て有し,それらが機能障害を伴って続く場合に診断される。

公益社団法人 日本心理学会


ふむ。「否定的な自己概念」というのが具体的にどうゆうものなのかわからんが、それ以外については全て当てはまっている。

最近はとくに「感情調整の困難」に困っている。
些細なことで心理的に圧倒されてしまい、それが身体症状として出てしまうのだ。
重度の倦怠感、疲労、食欲不振、痛み、吐き気、脳貧血、意欲喪失、無気力などである。

この歳になってやっと自分の親が、いわゆる毒親だったと分かった。

毒親は連鎖するものらしい。
つまり、親の親も毒親だった可能性が大いにあるということである。
しかしだからといって、それが免罪符となるわけではない。

今の私は他者とのコミュニケーションが難しい…というか、うまく表現できないのだが、他者の感情に対して圧倒されてしまい苦しくなってしまう。
他者の発言がポジティブなものであってもだ。

気遣いのある言葉をかけてもらっても全て社交辞令だと思ってしまうし、私のことなどみんなどうでもいいと思っているのだから発言すら不要であろうと思ったり。

ん…これが「否定的な自己概念」というものなのだろうか。

何が正しいのか間違いなのかわからない。
正しいとか問題ないと思って発した言葉が、意外な方向から人にダメージを与えていたりもする。
もう何も発言しないのがいちばん無難なんじゃないのかと思う。
釈尊も言っていたようだ。悪い行ないをするよりは何もしないほうがいい、と。

そういえば、先日のメンクリで
「SNSもお休みしていて、今は誰とも関わりたくない」
と言ったら、妹とは連絡をとっているのかと訊かれた。
孤立してしまうことを懸念したのだろうか。

孤立は良くないのだろうか。

世間一般は、働けない自分のような者に社会復帰を求める。
ひとは、社会に馴染み適合しないといけないのだろうか。
YouTubeを見てもそんなのばっかりである。
メンクリの主治医は、社会の外で生きるのも一つの生き方だと言っていた。
しかし、世間一般では、この意見を肯定する者は少ないのではないだろうか。

私は今のひとりでいる過ごし方が安心なんだけどな。

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