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推しを推すことは眼鏡をかけるのに似ている

私は視力がとても悪い。どのくらい悪いかというと、近視用眼鏡の実際より物が少し小さく見えてしまう歪みから、階段を踏み外して転げ落ちたことがあるくらい悪い。
なので普段はコンタクトレンズが手放せない。

と言っても夜にはコンタクトを外すので、就寝前のベッドから見える自室の風景は水の中で目を開けているみたいにぼやけている。

ベッドから少し離れたところに本棚がある。そこに並ぶ漫画本のうちの一冊が、私にとっての岸くんのようだなと思った。

不明瞭な視界でもわかるのはそこにあるのが本棚だということ、本棚なので当然、本が並んでいること。
サイズ感と背表紙の雰囲気で何の本かくらいもわかる。同じ背表紙が何冊か並んでいるから、あれはたぶん漫画の本。
でも、ここから文字や数字は読めないのでタイトルや巻数まではわからない。

本棚はテレビみたいだ。そこに並ぶ本はテレビに映る芸能人。
同じ装丁の背表紙で揃えられた漫画本がKing & Princeで、岸くんはその中の一冊。
今までの私はそれを矯正なしの視力でぼんやりと見ていた。
漫画本(岸くん)のことは知って(わかって)いるけど、
「ああ、そこにある(いる)な」
認識としてはまあ、そのくらい。

それが沼堕ちしたら、ぼんやりとした自室の風景に本棚、その中の岸くんという一冊だけが妙にはっきりくっきり見えるようになった。

岸くんだけがよく見えるので、MVでもドラマでも歌番組でもバラエティでも雑誌の表紙でも、つい岸くんを目で追ってしまう。今まではキンプリ5人を平等に眺めていたのに今では岸くんを、岸くんにまつわる何かを目敏く探してしまう。

今の私は対岸くん専用の……「対きしくん」って言いたいんだけどこの字面だと向こう岸になっちゃうね。
とにかく今の私は、岸くんだけが見える特殊な視力矯正器具を着用している。

人を好きになると世界が鮮やかに見えるのってつまりこう言うことなんだろうな。
今まで何となく見たり聞いたり触れたりしていたものの中にも推しや推しの概念がある。
推しの気配を探し回るうちに世界に対する感度は上がり。
推しにまつわるものの正体が知りたくなる。知りたくなれば調べるので世界に対する解像度が上がり。
解像度が上がるということは、今までぼんやり見ていたものの輪郭はすっきりするし漠然とした色の中に明暗がわかるようになるということ。
それはとても楽しくて、うれしいことだと私は思う。

感度を上げすぎた状態で眩しい推しを直視しつづけ網膜が焼けちゃって、目の前が真っ暗になるのがきっと恋。
感覚100%で推しを愛するガチ恋も常識の範囲でならありだと思うけど、私は推しと推しの存在する世界を見るための視力は残しておきたい派。

歳を取ると新しいものを吸収する気力がどんどん衰えるらしい。
あんなに好きだった漫画なのに新刊を読むのも億劫になったり好きなバンドのアルバムが出ても13曲を一気に聴くのがしんどくなったりするんだよ、なんて話を人から聞いてゾッとしたりしていたけれど。

岸くんのおかげで憧れだった「アイドルにハマること」ができた。
アイドルミュージックを積極的に聴くようになった。
今まで見ないタイプの雑誌やテレビ番組を見るようになった。

日々新たな発見があって今はそれがすごく楽しい。
そして、今からだって十分に新しいことができるんだってわかってとてもうれしい。

私の人生、これまでも、そしてこれからも、岸くんと交わることはたぶんおそらくほぼ絶対ないけれど、岸くんはただ画面の向こうで笑っているだけでいいんだ。それだけで岸くんは私に私の世界を鮮明にする力を与えてくれる。
岸くんはすごい。本当にすごい。

だから岸くんは私のために毎日おいしいごはんをいっぱい食べて、ちゃんと歯を磨いてあったかいお風呂に入って夜ぐっすり眠ってくれ。
昔から推しには健康以外求めないのが私の推し活スタイル……と言いたいところだけどあともう一つ。
健康で、それでいてまたいっぱいの笑顔を、この先もずっと私たちに見せてくれるとうれしいな。
岸くんを通して見たい世界がまだまだたくさんあるんだ。

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