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好きなもの発見記①

好きなもの発見したら書く記録、そのいち!

夏夜の公園に、ぽつんと立つ百日紅が風に揺れるのが好きだと思った。横に広がった葉の表面の、電灯に照らされた半分だけに、小さくあつまったピンクの花弁がかろうじて認識できる程度で遠くから見るのがいい。

百日紅は「ひゃくにちこう」ではなくて、「さるすべり」と読む。千日紅は「せんにちこう」と読むのに、百日紅ばかり特別な名前を持っているから、千日紅は羨ましがると思う。小学校低学年の頃、私には友達がいなかったからいつも図書館にいた。だから千日紅の花言葉が「永遠の恋」であることを知っている。小学生のくせに、永遠の「愛」ではなくて、永遠の「恋」だからという理由で千日紅が好きだった。このエピソード、わたくしは生まれた瞬間からカエルでした、みたいな違和感があるけど本当のことなんだよ。

千日紅は名前も花言葉も見た目も好きだったけど、百日紅を好きだと思ったことは今まで無い。夏の花でいえば、向日葵みたくキュートじゃないし、夾竹桃みたく夏らしさを感じないし、ダチュラみたいにゾクゾクしないから。全然関係ないけど、ダチュラは朝鮮朝顔とか、曼荼羅花とか、エンジェルストランペットとか、他にも名前があって1番好きなのはキチガイナスビという名前である。いつも笑う、悪口じゃん。

百日紅は、つやのある濃い緑色葉っぱを繁らせた枝が、両手をいっぱいに広げたような横長のシルエットに伸びる。互い違いに生えた緑葉と、縮れたピンクの花びらが、夏の日差しの下では目に鮮やかなコントラスト。でもやっぱり、花に華やかさを感じられなくて好きではなかった。

今日、夜中にお散歩していたら、ふと遠くに見えた木の感じがすごく好きだったから近くに寄ってみた。それが、別に今までなんとも思っていなかった百日紅だったというのがこの話の本題である。

夜に見る百日紅は、いつも見るそれとは雰囲気が違った。花も葉も互い違いに生えた細かいものが、ゆっくり吹き抜ける夜風に、やわらかくふわふわと揺れている。暗くて輪郭がはっきりしない葉の擦れ合う幽けき音が、幼い少女たちが囁きあっているような音に聞こえる。それなりに樹高のある種類だから、地面と水平に広がった葉たちは屋根のようになり、誰もいない公園に立つその木は、樹下に無垢な幽霊が立っていそうな気がした。

好きになれない理由だった小さな花びらだからこそ、それらが風に揺られて重なり、擦れ合って柔らかく揺れて、えもいわれぬ儚さや幻想を掻き立てる。なんだかこの世ならざる者たちの窃笑が聞こえてきそうに思えて、にわかに背筋が寒くなったが、帰り道も暫くは揺れる百日紅のことを考えていた。

散歩から帰って、お風呂に入る前に書き留めておこうと思い立ち、noteを開く。小さな子どもが寝る前にこしょこしょ喋って笑うような、百日紅の葉の音が残っているうちやり切るつもりで書き始めた。あれの花言葉に「愛嬌」とつけた人の気持ちが少しわかる気がする。今夜はもう遅いし、軽めにおさめようと思ったのに、好きなものを語るとどうしても喋りすぎてしまう。見る人をこんなふうにさせるから「雄弁」とも加えたのかなあ、知らんけど。

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