人類の未来を拓く宇宙コモンズ <野口聡一氏インタビュー>
国際社会経済研究所(IISE)では、人類の未来を拓くカギの1つとして、宇宙コモンズを探索しています。
地上の共有資産(コモンズ)には、牧草地や漁場、医療や教育があります。これらは、利用者の視点に基づいたルール形成により、持続的に運営され、利用者のウェルビーイングに貢献してきました。このような地上の成功例を参考に、宇宙にもコモンズの可能性があると考え、宇宙ステーションや月面、衛星データなどを対象にその可能性を探索してきました。(No.1,2,3,4,5)
これから、宇宙コモンズの可能性を有識者の皆さんと共に考えていきたいと思っています。その第1弾として、IISE理事/CTOであり宇宙飛行士である野口聡一さんに宇宙コモンズの可能性を伺いました。
(1)ソートリーダーシップ活動とコモンズ
国際社会経済研究所(IISE)のソートリーダーシップ活動と、コモンズの関係をどのようにお考えですか?
野口 IISEは、生活者の視点から未来像を描き、共感による仲間づくりを通じて、課題解決や技術の社会実装を進めています。コモンズは、仲間と持続的な運営方法を考えて豊かな暮らしを実現していくという点で、IISEのソートリーダーシップ活動と共通する点があると感じています。ソートリーダーシップもコモンズも、仲間づくりを通じて、人類の未来を拓くのです。
(2)地上コモンズへの宇宙テクノロジーの貢献
現在、地上では地球温暖化や生物多様性など様々な課題があります。宇宙から地球を見て、どのように感じましたか。
野口 国際宇宙ステーションから船外に出て、手が届きそうなほど間近に浮かぶ地球を眺めた時、その美しさは格別でした。漆黒の宇宙を背景に地球を眺めると、1人1人の人間、動物や植物たちが、今まさに命を謳歌していると感じられます。2005年から2020年にかけて、私は宇宙へ3回行きましたが、宇宙から見た北極圏の氷は、1回目と2回目、3回目で全く異なり、驚くべきスピードで溶けていました。そのような気候変動による地球の危機を目の当たりにすると、行動を起こさないといけないと感じました。
そのように宇宙から地球を見て危機を感じる中、コモンズである森林や海、地球を守ることに、宇宙テクノロジーはどのように貢献できると思いますか。
野口 宇宙テクノロジーは、環境問題の解決に重要なカギを握っています。例えば、温室効果ガスの測定や、森林の違法伐採の監視、防災や減災などにも宇宙からのデータが役立っています。宇宙事業は、人類の宇宙への挑戦という枠を超え、私たちのコモンズである地球を守ってもいるんですね。
将来、人類が月や火星に住んだり、太陽系から出るかもしれませんが、地球はかけがえのない星です。宇宙という過酷な環境に人類の生存圏を拡大するための研究は、翻って地球における生存圏でのサステナブルな生活にも繋がってきます。そのような観点で、宇宙事業は社会全体にとって非常に意義のある活動です。
例えば、気候変動への対応策としては、「緩和」と「適応」というアプローチがありますが、IISEは「適応」への投資を促進するための「適応ファイナンスコンソーシアム」を設立し、気候変動の影響を低減する取り組みを行っています。そこでも地球の現状を捉える宇宙テクノロジーは大切な要素となっています。
▼適応ファイナンスコンソーシアム
世代を超えてコモンズとしての美しい地球を守るために、宇宙で何ができるかをこれからも考えていきたいですね。
(3)宇宙生活におけるコモンズ
地上では、水やエネルギー、インターネットなどがコモンズとして利用されていますが、宇宙では限られています。物資が限られる国際宇宙ステーション(ISS)での生活はどのようなものでしたか?
野口 初期の宇宙でのインターネットは、非常に遅かったですが、今では速度も上がって、コモンズとしてのインターネットを楽しめています。NetflixやAmazon PrimeなんかもISSで楽しめています。宇宙食も、みんなでシェアするコモンズのような文化があります。食材を分かち合うことで仲間との距離感を近づける絶好の機会なんですね。クルーは各国の自慢料理をISSに持ち寄って、私も負けじと宇宙日本食をシェアしました。異文化交流やバラエティある食事は、栄養面だけでなく、精神面でも効果を感じます。
元気なコモンズには楽しい仲間がいます。国際宇宙ステーションでの生活も楽しそうですね。地球上では、地域ごとにコモンズとしての文化を大切にして、豊かな暮らしを支えてきました。宇宙ならではの文化というのもあるんでしょうか?
野口 まず、お伝えしたいのは、ISS全体が共有空間というわけではなく、各クルーにプライベート空間である個室も割り当てられています。他人をリスペクトして、個室にはむやみにノックしたりしません。このような距離感を適切に保てる文化、生活者視点でのルールがあるからこそ、宇宙での共同生活もうまく運用できているのだと思います。
文化というと、国際宇宙ステーションは人工的で殺風景であり、地上に帰還したときに猛烈に土や草のにおいを感じたほどです。そのため、ISS内でバジル栽培の実験を行ったんですが、宇宙で植物を育てることほど宇宙飛行士のモチベーションを上げる実験はありませんでした。バジルの香りも最高でした。ほとんど緑や自然に触れることのない月面での生活が始まると、植物を栽培することは食料としてだけでなく、精神的に大切な文化となると思います。
新しい文化という観点では、エンターテイメント領域も可能性があります。私は、宇宙から生の暮らしをYouTubeで発信しました。宇宙ステーション船内ツアーや宇宙食の食レポ、さらには空中に浮かぶ水玉を卓球ラケットで弾く1人卓球の映像などです。今後、宇宙旅行や月面居住が進むと、Youtuberだけでなく、映画やアバター、ゲーム、スポーツなど新たなエンターテイメントの形も考えられます。
IISEは、生活者視点を大切にしながら、豊かな社会の実現に向けた議論を行う共創の場です。多様な業種の方々と新しい宇宙での文化、新しい産業の可能性も、幅広く議論していきたいですね。
宇宙という新しい市場では、色んな産業が入り込んでくる余地がたくさんありますね。さて、知識コモンズという観点で、古代から人類は、生活の知恵をコモンズとして子孫に受け継ぐことで生存力を高めてきました。宇宙ならではの知見や知識というものもあるんでしょうか?
野口 宇宙では、地上では想像もつかないような感覚、知見を得られることがあります。例えば、宇宙では昼はプラス120℃で、夜はマイナス150℃という極端な温度になりますが、宇宙服に守られているとその温度は感じませんし、真空も感じません。ただ、手袋がシリコン製のため、夜は寒くてカチカチになって、昼は暖かくて柔らかくなることで温度や太陽を感じたりします。手袋の硬さで、温度や太陽の存在を感じるのです。これは宇宙に出て初めて得られる知見です。
また、真空では空気を通して音が伝わらないのですが、船外の外側から宇宙船自体に触れると、内部からの振動で、空調や冷却ポンプの稼働状況を感じることができます。聴覚ではなく触覚で音を感じるんですね。
今後、宇宙や月面で生まれ育つ人が出てくると、地球の重力や常識を知らないので、地球とは全く異なる、新しい宇宙流の常識やルールも誕生すると思います。それが世代を超えて蓄積されていくのかもしれません。楽しみですね。
(4)グローバル・コモンズとしての宇宙・月面利用
近年、衛星コンステレーションといって、民間企業が地球低軌道に数万機の衛星を打ち上げる計画を出すなど、宇宙空間や周波数の占有、宇宙利用の在り方も課題になっています。コモンズとしての宇宙利用について、どのようにお考えでしょうか。
野口 宇宙をコモンズとして捉えると、宇宙は誰でもビジネスができる場とも考えられます。実際、気象衛星はコモンズとして利用されています。GPSも当初は軍事目的でしたが、アメリカはコモンズとして開放し、世界的なインフラとなりました。みんなのものだからこそ、みんなで宇宙ごみの問題も取り組もう、という企業もあります。
今後、ますます宇宙空間、宇宙テクノロジーが解放されるといいですね。宇宙がオープンになることで、開発が加速したり、コストが下がったり、新たなサービスが生まれます。そのためにも、コモンズとして宇宙を使うためのルール作りが大切です。
アポロ計画以来の月面有人探査計画も各国で進み、国家間による競争も生まれています。グローバル・コモンズとしての月面利用について、どのようにお考えでしょうか。
野口 宇宙に行くというのは、単に自国の代表ではなく人類の代表であり、運命共同体として宇宙を利用し、地球を守るという共通の気持ちになれたらと思います。
一方で、米国や中国などの大国は、月の資源を狙っていますね。アメリカが1969年に月面に着陸したときは、月の領有権は主張せず、「人類にとっての偉大な一歩」と、一国ではなく人類共有の偉業としました。現在、月の所有に関する法的根拠がないことは問題と考えます。国連が法律を作ろうとしていますが、中国は、拒否権を使う可能性もあります。アメリカが有人月面探査であるアルテミス計画を推進するのはそのような背景もあるでしょう。
IISEでは、ルールメイキングやPolicy Intelligenceにも力を入れていこうとしています。日本は民間宇宙機が月面へ到達した実績もあり、宇宙空間や宇宙資源のルールメイキングについて、オールジャパンで国際的に先導していきたいですね。
月面探査は国家だけでなく、民間企業も参入し始めています。今後、コモンズとしての月面の利用、宇宙の利用について、どのような展開を期待されていますか。
宇宙がコモンズとして利用されることで、人類の可能性が広がることを期待しています。様々な国、民間や個人に開かれることで、宇宙ホテルや月面居住、月資源を使った火星への旅行など、人類の活動範囲が大きく広がります。
日本では、月面に人類が頻繁に降り立つ時代を見据えて、自動車会社や建設業、住宅関連、さらには衣食住に至る様々な企業が月面基地のための検討を行っています。人類の月面活動に向けた技術開発は、宇宙での利用だけでなく、地球上の過酷な環境での活用や、地球を守ることにも使われるでしょう。大学でも、例えば立命館大学の研究センターでは宇宙での生存圏構築と、それを通じた地球でのイノベーション創出を目指しています。
また、月面から地球を眺めることで、人間の内面世界に深い変化をもたらすと考えています。宗教的観念や地球環境問題への視点など、「宇宙の視座」から様々な価値観の変化が考えられます。芸術家や哲学者などの表現者の方が月面に行き、そこで紡ぎだされる新たな表現が楽しみです。
コモンズとして芸術家や哲学者など幅広い人たちに開放されるということですね。
IISEは、生活者の視点に立ったサービスやイノベーションが創出される社会の実現を目指しています。月面社会も、このような視点に立つことで豊かでサステナブルな暮らしが実現できると思います。宇宙事業に関心を寄せる方々と、IISEフォーラムや各種イニシアティブなど、様々な場を通じて、宇宙テクノロジーを利用した豊かな地球生活、また豊かな宇宙社会の実現に向けた議論を行っていきたいですね。
宇宙という新しい「次元」から地球を見ることで、既存の常識も次々と変わります。宇宙を目指す道で、志を同じくする仲間や、心から夢中になれるものにも出会えます。みなさんと共に、世界の知を集結して、新しい未来を開拓していきたいと思います。
聞き手・文:IISEソートリーダーシップ推進部 佐野智
JAXAに長年勤務し社会課題解決に向けた新規宇宙事業創出に尽力。内閣府(衛星を利用した社会実装プログラムを推進)を経て現職。博士(理学)。