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場面緘黙症

久しぶりに書いてみようと思ったのは、不登校の子が、宿泊行事だけでもと担任の先生から声をかけてもらったのだけれど、結局体調不良で、本人も別に行かなくても、という気持ちだったので不参加だったところから、過去の色々な事が思い出されて、親の自分がそういう学校とのやり取りがトラウマになっているのを感じたから。

数年間親として、不登校対応をしていると、様々な先生と電話なり面談なりで話す訳だけれど、不登校初期の何人かの先生に言われたこと、されたことが、今でも思い出すと、許せない、と黒い気持ちが湧いてきてしまうのだ。

学校に行かなくなったのは、体調面や家庭の事情で子どもが弱っていたのと、子どもの性格性質ではあると思う。

ただ、
学校は行きたい場所ではない
と思わせてしまったのは、その何人かの先生の言葉や対応だったのではないか?
今となってはそう感じてしまう。
こういうと学校や先生のせいにして、と言われそうだけれど。
大人だって、職場に意地悪な人、嫌だなと感じる人がいたら、仕事に行くのに気分が重くなるし、転職の原因に対人関係をあげる人は多い。
 義務教育期間の子どもたちには選択肢が、学校に行くか、休むか、転校するか、しかないのだから。

ここで、場面緘黙症、に話が戻るのだけれど、子どもが話せなくて部屋の隅で泣いていた園時代から、完全に不登校になり長期化するまで、園、学校関係者から一度も、
分離不安や場面緘黙症、
についての話はなかった。
登下校時に逃走というか、ふざけて物陰に隠れてしまって騒動になったことが園で一度、学校で一度あったので、先生からみたら要注意児童だったのだろう。
ただ、どちらも私が見失ってしまったので、園や学校の管理下ではなかったので、失念していたけれど。

五月雨登校や付き添い登校で、通えていた時期にあったのは、
療育へ通っては?
病院で診断をうけては?
心理テストをやってみましょうか?
最後は支援級への移籍の話ばかりだったということ。
なぜ?(うちの子に)とたずねると、
(これは差別とか)そういう意図ではなくて、お子さんが学年が上がると勉強が大変になるだろうから、お子さんのためで。
という返事。
がんばって通っていたクラスから、ひとり支援級に見学に行かされ、子どもはどう思ったのだろう。
すでにその頃、あまり大人と話せなくなっていたので、子どもは気持ちを伝えられず、完全不登校になってしまったのかも。
話さない子=自閉症、ではないと思う。
場面緘黙症は情緒級を使えるのだから、違うアプローチがあったのでは?
親をなくした子どもへの、あまりの配慮のなさに、今思い出しても、鬱々とした気分になる、


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