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あの日ライブを諦めた私に告ぐ

注:これは5月20日くらいの私が書いた記事。結構寝かせたので時系列がごちゃごちゃだし今まで上げた記事とやや内容が被りますが見逃してください。

もともと、”半角カタカナ名字”という圧倒的没個性なアカウント名でnoteをやっていた。その時アカウントを立ち上げた経緯は、「病気に関することを自分の言葉で表現できるようになりたい」みたいな感じだったと思う。

その頃の私は自分の話をするのがとにかく苦手で、とくに自分に降りかかってきた”disorder”(≒頼んでいないのにやってきたクソ厄介なもの)である病気の話なんて悔しくて悲しくて、言葉にできなかった。
ちなみに病気の話をするにあたって病名を言っておいた方がいいと思うから書くと、最新のカルテには「パニック障害」「不安神経症」「不眠症」って書いてありました。あと、大学入学時は「うつ」もあった。
いま私が人に伝えるときはだいたい「パニック障害」って言ってる。


高校のころまでの私は、大好きな吹奏楽に盲目的に打ち込み、今考えると「この世の終わり」みたいなスケジュールをニコニコしながら、なんてこともない感じでこなしていた。なのに大学に入り、「楽しいことに我を忘れて没頭する」ことができなくなったことにとにかく絶望した。
せっかくそれなりに頑張って第一志望の大学に受かり、中学時代の私に絶望をもたらした(これについてはまた書きたい)田舎から飛び出して東京に来たのに、部屋から出ること、電車に乗ること、人波に突っ込むことがとにかく怖い。
大学の同期はみんな才能のある人で、サークル以外にも様々なところで自分の持っているものを余すことなく表現していて、当時の私にはそんな同期たちに伝えるのも恐ろしいような、言葉にはできない劣等感、さらに言うなら嫉妬みたいなものが積もっていた気がする。

ところで、上京すると決まった時、私がひそかに楽しみにしていたのは大好きなバンドのライブに行くことだった。入学前から今はなきZEPP TOKYO(だった気がする)で開催されるパスピエのライブのチケットも、高校時代からの心の友(ジャイアン?)と一緒に行くつもりで取っていた。

結論から言うと、行けなかった。

ライブハウスも、そこに鳴り響く轟音も、閉鎖空間も人混みも、たどり着くまでの電車もすべてが怖かった。あれだけ大好きで楽しみだったライブに恐怖を覚える自分にがっかりした。
その日は代わりに越谷レイクタウンでぶらぶらした覚えがある。ド平日のレイクタウンの人混みが限界だった。

翌年、満を持してリベンジする機会があり、薬を飲むようになったりなんだりしてかなり良くなった私は、結論から言うと、行けた。
前年に一緒にレイクタウンでぼーっとしてくれた彼女に、ライブ前夜、「新橋までは絶対にいくから、待ってて」「そのあとライブ行けるかはちょっとわかんないけど」ってLINEした覚えがある。ライブもお金も棒に振る可能性があるやばいお願いに、二つ返事で了承してくれて背中を押してくれた友人には頭が上がらない。彼女のおかげで今の私があると言っても過言ではない。
こんなこと、高校時代までの私に言ったら「あまりにもしょぼくなってて驚きを隠しきれない」とか言われかねない。実際しょぼい。一般ピーポーと比べるとハードル低すぎる。でも、これは紛れもなく私の「クソデカ成功体験」になった。

そして、その成功体験から3年、そもそもライブハウスなんて行きようがないくらいの意味不明なウイルスが最悪な感じに世の中をかき乱してくれちゃって。なんなら今も迷惑被ってるけど……。
大学”5”年生になった私は、わざわざ1年かけて「パニック障害」(以下略)をまあ寛解と言えるレベルまで持ってきて、就職活動をしている。当時から障がい者手帳とか持ってなかったから、まあグレーなところではあるけど通常の新卒採用に何とかくらいついている。


それで、めちゃくちゃ長くなったけどここからが現在の話。
ESとか履歴書とか、そんな紙で私の何がわかるってんだ!!っていうありきたりな怒りなどもぶつけつつ、説明会→面接→説明会→お祈りメール…みたいなのを繰り返す毎日の中で、このオンラインだらけのご時世、先日ついに初めて対面の説明会に参加した。

結論から言うと、行けました。って当たり前だろ、って思うかもしれないんだけど……。

「病気」になってから、人生の今後に関わるようなでかい行事のために動くことがなくて、正直、対面説明会とか不安でしかなった。
しかも通常の新卒採用受けている以上、途中でパニック発作起こしてぶっ倒れたよ~~とかなったら「いや話とちゃうやないか」と言われても仕方がない状態で。エージェント経由で申し込んだ説明会だし行かなくては。そもそも電車混んでそうだよね。天気悪いし頭痛くない?
もうすべてが私にのしかかった。ストレス。ド緊張。

星野源の『そして生活は続く』とか、コダックのぬいぐるみとか、NakamuraEmiの「YAMABIKO」とか、とにかくいろいろ自分を励ませるものを鞄(と耳)に突っ込んで、数人に「頑張って」の言葉を乞うたりして(応援ありがとうございました本当に助かりました)、土曜昼の中央線、かつての天敵だった人込みに流されてどうにか「たどり着く」ことができた。まあおなか痛くなったけど…。昔っからおなかが弱い。
とりあえず、ここまでで第一目標は達成。たどり着くことすらできずに、対面就職活動に対する挫折体験を植え付けることだけは絶対に避けたかったから。よかったね!とりあえず100点といってもいいだろう。

説明会のなかで、「ほかの人には負けないもの」は何かって話をされた。今までも何度も言われてきた。正直、大学生活を「パニック障害」(以下略)のせいでやや棒に振った(他者比)感覚がある私は、「そんなもん、ないわ」「生きるので精いっぱいやわ」「高校時代までの私が就活してほしいわ」って思ってた。
でも、大学時代に経験した挫折、高校時代からのギャップは、ひょっとして誰にも負けていないのでは…?って気付く。私一人の力ではないけど、その瞬間瞬間には気づかないような小さな成功体験を積み重ねて、ようやくそれなりにはっぴーに生きられるようになった。それってすごくえらくない???めっちゃすごい。

相変わらず冗長になってしまう。
今日、人生で初めてスーツをかっちり着て、パンプスを履いて足を浮腫ませ、黒くて重たい鞄をぶら下げながら、「御社御社御社…」って脳内で唱えて出かけて……なんかいい感じで終えることができた。これはレイクタウンでぼーっとした体験と、その翌年新橋からゆりかもめに乗ってZEPP TOKYOの2階からパスピエを聴いた経験から地続きになってる。
あの「新橋で待ってて」を、「暴露療法」って言葉にしちゃうとなんか簡単な感じになっちゃってちょっと悔しい。この文字のいかつさからわかるように、本当に当時の私にとって新橋に行くことは恐ろしいことだった。そんでめちゃくちゃ頑張ったから……。
世間からしょぼいと思われるようなハードルを越えてきて、「普通」になれた今日までを、胸を張って自分の財産って言いたい。



「あの時は輝いてた」
「今つまらないのが当たり前」
そんなの自分次第だ
あの時より輝いてたいじゃんか
あの時より あの時より
あの時より あの時より
NakamuraEmi『YAMABIKO』

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