山仕事のための読書ノート④       おばあちゃんのはなし

 高校一年生の時に、ひとり自転車で伊豆半島を一周したことがある。中学生の時に安価なロードバイクを手に入れて、友人たちと何度か遠出もしていたのだが、今思えばこの時が初めての一人旅だった。年齢的にも、自立心が芽生えひとりで何かをしたくなる年頃だったのだろう。伊豆半島一周は150キロ以上。日帰りにはやや厳しい距離だから、テントと寝袋を持ってどこかで野宿でもする予定でその旨を両親に伝え朝五時に出発した。伊豆半島の東側の付け根あたりにある伊東市宇佐美の自宅から半島の南端をまわり、西伊豆の海岸沿いを北上して、西側の付け根の沼津あたりから山間部である中伊豆・修善寺を通って宇佐美に帰ってくるプラン。とくに目的地があるわけでもなく、ご当地グルメを楽しむわけでもなく、というかそんな発想がそもそもなく、ただひたすら海と山に挟まれアップダウンを繰り返す複雑な海岸線の地形を走る。
 この時初めて西伊豆に訪れたのだが、海岸沿いには奇岩が美しい景観を作っているところがあったり、富士山が望める場所もある(東伊豆からは山に遮られて富士山が見えない)、また入江ごとに点在する小さな鄙びた集落の風景などに趣を感じ、すっかり気に入って今でも最も好きな場所のひとつになった。そんな西伊豆の中ほどにある土肥という集落に着いた頃には日も暮れかけていたが、もう少し先に進もうと漕いでいた途中で、失敗、道を間違えた。海岸沿いを北上する道ではなく、中伊豆に向かう峠道を進んでしまっていたのだ。気づいた時はすでに峠の中腹くらいまで来てしまっていたので、戻るのも面倒だしそのまま中伊豆に向かうことにした。地図をあまり見ないのは今でも自分の悪い癖であるが、まぁ間違えたら間違えたでいっか、油断してるわりに楽天的?なのも変わらずだ。修善寺についたのは午後八時くらいだったか。計画したプランと比べると、ショートカットして到着したかたちになる。ここからなら家まであと三時間あれば着く。このまま泊まらずに帰ってしまおうと決める。
 一日中走ってきて体力もだいぶ消耗していたと思うが、そこは若かった、まだ走れる。一人旅の寂しさもあったのだろうか早く家に帰りたくなっていたので、小休止ののち、急いで再出発。そして、また失敗、道を間違える(笑)。今思うと、地図持ってなかったような気がする(笑)。修善寺から宇佐美に行くには亀石峠を越える道を使うのだが、間違えて冷川峠を越えて伊東市街地に通じる道を進んでしまったのだ。亀石峠の道は車通りも多くメジャーな道だが、冷川峠は旧道で車もあまり通らない道だ。暗い山へ向かう道をしばらく走って街から離れると、民家もどんどん少なっていく。道路の標識でこの道が冷川峠に向かう道だということは途中でわかったのだが、方向としては大きく間違っているわけではないし、まいっか、行っちゃえ。 道の傾斜が強まってくる頃には、民家のあかりも見えなくなり、街灯もすでにない。つまり真っ暗だ。目の前の路面を照らす自転車のライトだけを頼りに、月もなく風もない静かな暗闇の峠道を、ひとり少年はひたすらペダルを漕ぐ。聞こえるのは自分の息遣いだけだ。小さなライトの光では周囲はよく見えないのだが、道の両側には針葉樹の林が続いていたように記憶している。夜の山はやはり、気味の悪さがある。静かに佇んでいる木々に見つめられている。夜の闇が体の芯まで染み入ってきた頃、ふと、「何かが出ても不思議じゃないな」と思った。おばけだか妖怪だか、よくわからないが何しろそんなものが今ここに出てきても、ぜんぜん不思議じゃない。そのうち、何か白っぽいものが後ろから忍び寄ってきているようなイメージが頭に浮かんだ。もちろんそれはただの自分の妄想だ。しかしいちどそんなイメージが浮かんでしまうと恐ろしさはいや増す。そいつに捕まってはいけない、はやくこの場を通り過ぎなければ。妄念を振り払うように必死でペダルを漕ぎ、息遣いに集中した。時間の感覚はよくわからなくなっていたのだが、一時間半くらいはそんな状態で、暗闇の中、蛇行する坂道を休みなく走り続け、峠を超えて街の明かりが見えた時は心底ほっとした。その峠道では、一台の車も通り過ぎず、そしてとくに他のなにとも出くわすことはなかった。峠の長い下り坂をすべりおりてようやく家についたのは午後十一時くらいだった。
 
 家に帰ると玄関の鍵は閉まっていて家人はもう寝ているようだったが、玄関の隣にあるおばあちゃんの部屋には明かりがついていて、呼ぶとおばあちゃんが出てきて玄関を開けてくれた。あんたこんな時間にど行ってたの、と聞かれたので、伊豆半島を自転車で一周して途中道を間違えて冷川峠を越えて帰ってきたよ、と伝えると、おばあちゃんは目を丸くしてこう言った。
「まぁこんな時間におそろしい。あそこは天狗が出るんだよ。」
この言葉を僕はとても印象的に記憶している。「何かが出ても不思議じゃない」という感覚を受けたそのすぐ後に言われたから、ということもあるが、何よりその表情や口調から、どうやらおばあちゃんは天狗の存在を本当に信じているらしいと感じられたからだ。子供が夜出歩くのを戒めるための方便のようには聞こえなかった。そういえば僕がもっと小さい頃、神隠しの話も聞かされたことがある。昔近所のどこそこの誰々君が、一人で山に入って帰ってこない、捜索に入ったが結局見つからなかった、生きておれば今何歳になっているだろう、これも天狗の仕業だろうか云々。僕くらいの世代だと、天狗の存在などは、まったく信じないわけじゃないけど信じているとも言い難い、くらいの人が大半なんじゃないかと思う。とにかく、天狗のようなものの存在を信じている人が目の前にいる、ということになぜかえらくハッとさせられ、また、いまだに尾を引いていると言える。しかして、青春のささやかな冒険の一日は、最後のおばあちゃんのひとことによって、僕に小さな「問い」の種を植え付けてくれた。

 大人になって、柳田國男という人を知ってよく読むようになった。この人は「妖怪みたいなもの」について「真面目に」研究した人だ。『幽冥談』という談話の中で研究の目的についてこう書いている。
 

それで僕がなぜそんなものを研究しようという気になったかというと、どこの国のどこの国民でも皆めいめい特別の不可思議を持っている・・・これらを研究していったならば一面に国々の国民の歴史を研究することができるであろうと思う。ことに国民の性質というものを一つ方法に依って計ることができるだろうと思う。・・・こと日本におけるこの信仰は古くから今日まで時代時代に依ってあるいは現れ、あるいは潜むことはあるけれども、とにかく存続し来たったので、今後も永遠に存在すべきものである。ただ天狗とか何とかいうものが、どこの山の隅からも起こらない時代は宗教が非常に微弱になっている時代で、そのために廃滅に期したということはない。いわんや仏教とか、基督教とかいうごとき人の拵えた宗教でない一種の信仰であるから、日本人の血が雑婚によって消えてしまうまでは遺っているだろうと思う。(『幽冥談』)

 確かに、現代においても妖怪やお化けみたいなものは、微弱ではあるが、大衆の中に存在し続けている。柳田國男は明治から昭和の大戦に至る激動の時代の中で、日本人が生きていくために必要な、いわばアイデンティティーとしての「固有信仰」を明らかにするために、自身が生み出した「民俗学」という手法によって探究していった。彼は政治的に導入された仏教や儒教、政治的に生み出された神道などを極力廃して、ひそやかで微弱なものごとを見つめることから、日本人の信仰の根底にあるものを探ろうとした。妖怪研究もそのひとつなのだが、その目的はなかなか壮大であって、僕のようなものには少し遠い話のようにも思える。しかし高校生の僕がハッとさせられた経験は、あんがいこういうことに繋がっているような気もするのだ。
僕らは今でも、見えないものへのささやかな信仰を持っているはずだ。

 柳田は終戦直前に書いた『先祖の話』において、日本人が古代から信じている固有信仰である先祖崇拝について論じている。彼の考えを簡単にまとめると、「日本人は死ぬとその魂は近くの山の頂にのぼっていき、そこで一定期間とどまって浄まり鎮まったのち先祖の御霊と一体化する。そして永遠に子孫を見守り続ける。そしてときおり里に降りてきて、子孫と交わりまた山へ帰っていく。」というものだ。彼は日本の山岳信仰についても、先祖崇拝がルーツである可能性を指摘しているのが興味深い。先祖の御霊がいるから山を信仰したのだと。里に住む人々にとって、山は最も天に近い場所、つまり「永遠」との境界領域だ。先祖の御霊との交流によって、今を生きる人々は「永遠」に触れることができる、と柳田は考える。天狗というのも、もしかしたらそんな山を守る番人のようなものなのかもしれない。また林業と縁深い山の講の習わしもこれに関連づけられてふれられていた。そしてもちろんこの本は、大戦による戦死者の弔いを前提にして書かれている。博覧強記の柳田の過剰性をはらんだ思考が端正な美文によって渦を巻く、とても浅学の身には汲み尽くせない内容ですが、興味ある方は一読をお勧めします。


(魂は)天と最も近い清浄の境に、安らかに集まっていられるものと我々は信じていた。

空と海とはただ一続きの広い通路であり、霊はその間を自由に去来したのでもあろうが、それでもなおこの国土を離れ去って、遠く渡って行こうという蓬莱の島を、まだ我々はよそに持ってはいなかった。・・・それはどこまでもこのくにを愛していたからだろうと思う。(『先祖の話』)

                                          
 さて、僕はこの文章をお盆休み中に書いている、そしてまた今日は終戦記念日でもある。今年は天候が悪くまたコロナ状況の悪化もあり実家への帰省はとりやめに。今頃は亡きおばあちゃんも御霊となったおじいちゃんと共に里へ降りていると思われるが、お迎えすることができないので、代わりにこのような文章で勘弁していただきたいと思う。根羽村の皆さんは静かな良いお盆を過ごされたかと想像します。あまり林業に関係ない話でしたけど、ま、いっかな。

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