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ジョージ・フロイド氏事件ー暴動編

今回は、フロイド氏事件直後にミネアポリスで起きた暴動について、どのように始まり、鎮静化していったかを記録しておきたいと思います。このような事が再び起きないことを願いますが、歴史は繰り返されるので。。。

5月27日(水曜日)


プロテストはこの日も日中は平和的に進行しましたが、徐々にフロイド氏を殺害した警官が所属する警察署まで移動していきました。夜になると平和的だった集まりの一部が暴徒となって、警察署の隣のショッピングモールから出火、一帯が火事になりました。同時に暴徒はモール内のTarget(ミネソタではかなり人気の量販店)などの店舗に侵入し、商品を盗む行為も勃発。それに対する取り締まりの警官は来ないという状態でした。

この破壊行為は隣接のセントポール市あたりまで飛び火して、火事は30件ほどになったようです。

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ターゲット店破壊行為の現場

5月28日(木曜日)


この日の午後、ティム・ウォルツ州知事がpeacetime emergency (平和時緊急態勢)を発令し、national guards (州兵軍)を五百人要請しました。プロテストはますますエリアが拡大して、夜になるとやはり破壊行動が過激になり、ついに渦中の警察署に火がつけられ全焼しました。それ以前に市長の指令で警察は全員退避していたので、被害は建物だけでした。その後他のエリアでも放火や建物損害や略奪行為があり、コントロールができない状態に陥りました。後日、その原因としてnational guardsの司令官は、「我々は地域のリーダーからの指令に従うのが役目で、今回の状況に対して州知事からの明確な指示がなかったのが、混乱を招く一因だった」とコメントしています。ミネソタ州で暴動にあたるため州兵が要請されたのは、ベトナム戦争で全国的に暴動が起きていた1960年代以降初めてです。

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燃える警察署

5月29日(金曜日)


ミネソタ州知事はnational guardsのトップと話し合いをもち、この日の対策を練りました。その結果、national guard、county sheriff(郡保安官)、 state trooper(州警察) などの機関から二千五百人が出動しました。さらに夜8時以降の外出禁止令が出され(ミネアポリス、セントポールとその周辺地域)ましたが、やはり8時以降にも帰宅しないグループが一定数あり、従わないグループには催涙ガス、ビーンバッグ弾、閃光弾などが使われて、追い払いを開始します。しかし、放火、略奪行為はさらに広範囲に拡大し、上記の二千五百人でも対処できない地域がありました。暴動被害自体は前日に比べると減りましたが、一部の住人や商店は自らバットや銃で略奪破壊を防ぐ為に、夜中見張りをして、コミュニティを守りました。

店舗の前で見張りをする近所の住民

平和と思われていた場所で突然おきた暴動、しかしアメリカという国の人種問題を、現地に住んでいる外国人として見聞きし、背景を探ってみると、ここに至った道筋が少し見えてきたように感じます。次回はそれについて書いてみたいと思います。


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