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ワンドロップ・ルール。人種か血統か。

英王室の騒動、ヘンリー&メイガン夫妻の騒動について、地上波のニュースで報道されるレベルでしか僕は知りませんが、拗れに拗れ、今やヘンリー王子やメイガンさんの過去の言動やその人となりの方に話題が移行してしまった感があります。今後の去就や暴露本などに関心が移り、ことの本質がどこかへ行ってしまった感じがあります。ですが、ことの発端は「肌の色」であったことは疑いないでしょう。なぜなら、単なる醜聞ならこれまでの英王室にも問題になる人物はいくらでもいたからです。チャールズ3世の聞くに耐えない「あれ」を思い出すまでもなく。

また、日本の皇室にも今また「女性天皇」「女系天皇」の是非の議論の中で、似たような問題が持ち上がっています(これも複雑な問題です)。この問題は深く複雑で、このようなネット投稿文で語り尽くせる筈のないことは勿論のこととして(本一冊分の議論が必要な問題ですよね)。

「ジャズマンズ・ブルース」

ネットフリックスで、「ジャズマンズ・ブルース」という映画を見ました。サブスク発映画のクオリティが近年高いのはある程度知っていましたが、これもハリウッド映画と比べても遜色ないほどのクオリティに仕上がっていました。南部の黒人の若者が人種差別や家族との愛憎に苦しめられながらミュージシャンになっていく映画です。

まずテクニカルな面として、設定や時代背景などがとても忠実に作られていることに驚きました。物語は1937年、ジョージア北部から始まり、ジュークジョイントの描写、第二次世界大戦、ユダヤ人、南部黒人たちの北上、白人経営者による搾取の問題、など、戦前〜戦後のアメリカ黒人音楽史を俯瞰したような、これ以上ないくらい教材的価値が高い内容になっています。

ワンドロップ・ルール

更に特筆すべき点は、「ワンドロップ・ルール」の問題も描かれていることです。これは米人種差別問題の中でも特に悪名高い、「一滴でも黒人の血が入っていれば、黒人と看做す」というもの。ハーフ、クオーターはおろか、1/8、1/16であろうとも、どれだけ肌が白く白人にしか見えずとも、一滴でも黒人の血が入っていていれば人種的には黒人であるという、悪しき慣習です。
「それもまた、人種問題でしょう」と言われる方もいるでしょうが、外見的差異が消滅した後に(誰が見ても黒人と、或いは白人とは分からない)残るのは外部の問題ではなく自己、突き詰めればそれは信仰の問題に移ってきます。人種問題と血統の問題は似て非なるものと思えます。この問題を考えるときにいつも思い出すのはフォークナー「八月の光」の、ジョー・クリスマスです。翻って日本の皇室継承問題にも通じるかもしれません。簡単ではないし、また、軽々しく語ってはいけない問題と思います。

ですから人差別問題を扱った映画は数多くあれど、「ワンドロップ・ルール」を扱った映画は、古くは「悲しみは空の彼方に」(1959年)などがありますが、そう多くはありません。生物学的分類と血統主義は違う問題であり、また真正面から取り上げるには、あまりに深くて重い問題だからでしょう。この映画ではヒロイン役(ソレア・ファイファー)がそれに当たります。先も書いた通り、この映画は戦前戦後の南部黒人の諸問題が「てんこ盛り」にされているので個別の描写は浅いとの批判もあるでしょうが、それよりもむしろ、これだけ「てんこ盛り」にしたにも関わらず、2時間という限られた枠の中で可能な限り誠実に描こうとした関係者の誠実な姿勢が伝わってくる素晴らしい映画でした。

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