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鉄筋屋さんとのドタバタな1年間


工事現場施工管理として配属されて以来、鉄筋工事担当として奮闘してきた。
その日々は大変ながらもあまりに刺激的で愉快で、これからの財産になると確信している。




鉄筋屋A:
職長は50代のベテラン。他業者とのコミュニケーションも上手く経験豊富で助けられる反面、振り回されることも多い。

鉄筋屋B:
職長は20代前半の年下。初めての職長でとっても人見知り。


5月 鉄筋工事キックオフ

いよいよ鉄筋工事が始まろうとする頃、大雨に見舞われ工程が1週間ほど遅れた。
工程を取り戻すために30人ほどの鉄筋屋が乗り込み、信じられないスピードで配筋が進んで行った。
何もわからないながらも、コンクリート打設前に配筋検査と写真撮影を終えるという任務をこなさなければならず、泣きながら構造図と現地を見比べていた。

基礎躯体はなかなか規模が大きく、自分の背よりも高い梁を乗り越えて反対側へ行かなければならなかったり、ジャングルジムのようなフーチングを登らなければならなかったり、肉体的にも苦しかった。

ポケモンの洞窟で結構進んだのに行き止まりだった時と同じような気持ちになるな、とか、子供達もジャングルジムで遊ぶ時は安全帯がいるよな、とかそんなことを考えながら必死に気を紛らわせた。

雨の次の日は小学生の時でもあり得なかったくらい泥だらけになりながら仕事をした。
大学院出てこんなことすると思わなかったでしょ、と上司にいわれ、そうですねと返すしかなかった。

鉄筋屋との関係性が全く築けていなかったこの頃、配筋の間違いを指摘することが何よりも苦痛だった。
1年目のペーペーからの指摘など苛立ちの種でしかないことはわかりきっており、たのむから正しく配筋してくれよと思っていたし、あそことあそこの指摘しないとなあ〜〜と思いながら憂鬱な土日を過ごした。


7月
基礎工事が終わりを迎え、土間スラブの配筋が始まった。
真夏の鉄筋の上はヒートアイランド現象なんてレベルではなく、自分が燃えているような感覚だった。
相変わらず毎日必死ではあったが、少しずつ怖がらずに職長に話しかけられるようになってきた。


9月
地上階の躯体工事が本格的に始まるとともに、任される仕事の重みも増してきた。
それまでは配筋自主検査が主な仕事であったが、他業種との工程の調整や今後の工事の進め方など、とにかくいろんな人とのコミュニケーションが求められるようになった。話しかけるの怖いとか本当に言ってられなくなった。

そんなことを毎日していたら、どんな話し方をしたらスムーズに話し合いが進むのか、それも人によって違うんだということを学び、だんだん職人さんと話すのが好きになってきた。
いい意味で、人によって態度を変えるのも大切だと感じた。

ベテラン職長Aに怒られる回数が減った。
極度の人見知りの職長Bが笑顔で話しかけてくれるようになった時には、これがやりがいか!と感じた。



12月
いよいよ躯体工事が最上階を残すのみとなった。
もう今は、10時と15時の休憩時間に詰所に行って、お菓子やるからまあ座れと言われるがままに雑談(や仕事の話)をするのが日課になったし、配筋の手直しを指摘しても、しょうがないなあとすぐに直してくれるようになった。

職長以外の鉄筋屋さんとも仲良くなり、愛が深まるばかりだ。
1年目という大特権を活かし、鉄筋工事のわからないことをたくさん教えてもらったし、あのころはこんな配筋が流行ったとか、興味深いエピソードもたくさん聞いた。

一緒に配筋をずっとみてきたからこそ、後からスリーブ開口補強を増やされた時の絶望も、かぶり厚さを完璧に確保する難しさも、鉄筋を勝手に曲げられた時の腹立たしさも、全部共有してきた。

無茶なお願いをしても、なんとかしようとしてくれる鉄筋屋としてのプライドに何度も助けられた。
名残惜しいけれども、鉄筋工事担当としてのラストスパート、全力で責任ある仕事をしていきたい。




社会人1年目という特別な年に、この人たちと出会えたことに感謝して、ここで得た経験を絶対に今後の糧にしたい。


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