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私の冬の旅

立原正秋の小説「冬の旅」。         
宇野行助は義兄の修一郎を刺して少年院へ送られる。
彼はそこで様々の犯罪を犯した少年達と出会う。                   私は行助と仲よくなる“安”こと安坂宏一に親しみを持った。行助は冷静で頭の良い面がある一方で翳がある。己を律している分、人を寄せつけない翳がある。その点、安はおおらかで明るいのである。          「俺は学がないからよ。」と彼は言うが、 集団就職で秋田からやってきた彼は上野の中華料理で働いていた。
そこにラーメンを食べにくる厚子と出会う。
厚子は現在安の子供を身籠っているのだ。
少年院に入るきっかけは生まれてくる子の為、貧しい生活に窮して、店の金に手をつけてしまったという事だった。
厚子も薄幸な女性だ。どこか翳がある。
父親が亡くなり母親は銀座にバーを開き、その頃から彼女は親の優しさを知らなかった。母はバーテンを家に連れてきて、厚子はまったくの孤独な道をひとりで歩いて行くしかなかった。そんな厚子に優しい言葉をかけたのが安である。安の明るさ、人懐こい眼差し。暗い厚子の翳に、温もりのあるひかりが射した。
物語の主軸は行助の母澄江、義父理一、義兄修一郎と行助、行助が過ごす少年院での生活だ。荒んだ犯罪を犯した少年たちを生んだ親子関係や社会的背景が語られる。
しかし、行助や厚子の翳に私は注目したい。
彼らの翳は作者、立原正秋自身の生い立ちが投影されている。            立原正秋の自伝的小説「冬のかたみに」において幼い日、父が自裁する。母は再婚し、彼は孤独な道を独りで歩まねばならなかった。
その翳が行助、厚子にもさしている。
安に面会に行った日、厚子は行助に出会い、ハッと惹かれる物を感じる。
孤独な道を歩んだ者だけにわかる、寂しさの名残りのような感覚だ。しかし、行助は、安の妻である厚子とは一定の距離をとる。
行助は厚子にどこか自分の母澄江を重ねて視ている。行助の母に対する思慕の念はどこか切ない。誰しも母を恋い慕う幼子の時があったはずだ。いずれ断ち切られてしまうとしても心の奥底に大切にしまってある感情だ。
行助は再び特別少年院へ送られる事になる。
彼はそこで母と義父に決定的な別れを告げる。亡き父の姓、矢部にもどり、矢部行助として生きていくと澄江と理一から離れていくのだ。ここで行助の勁さを見せつけらる。
父母や友人達は彼がわからないと言う。つらくはないのだろうか…過酷な少年院での暮らしを嘆かない行助が不憫で仕方がないというのに彼は勁すぎ、決して嘆かないのだ。
「あいつは正義漢じゃないんだ。正義漢ならまわりから同情をよせられるが、あいつの性格には、こちらがはいりこむ余地がないんだな。なんといえばいいかな、あいつは倫理そのものだよ」
大学の友人山村が行助をそう評すが、安は
「りんりって何ですか、難しいことをいわれてもわかりませんよ」というのに対して山村は「人間がおこなうべき道、といえばいいかな」とこたえる。
行助はよき友人達に理解されている。
誠に友人達はよき仲間だ。行助は少年院で安や他の仲間から慕われ、大学では山村のような友を得ている。
ここでも行助の人生に立原自身の生い立ちを透かし見る事ができる。
「冬のかたみに」おいても「私は身内にはめぐまれなかったが良き友人達にめぐまれた」と感慨する言葉が書かれている。

「冬の旅」は私の立原正秋との出会いだった。
あらためて「冬の旅」を読み返し、私は「あぁっ!」と叫びたいほど心が震えた。感想がまとまらないのである。この美しいさびしさを何と言葉で表現すればいいのだ。    この感想文は私が「言葉」を獲得するまでまだつづく。「言葉」が私の裡に根をおろし花開いたら私はまたつづきを書きたい。

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