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敵を愛することについて

私が、ルカの福音書の「敵を愛することについて」を読んだ時、真っ先に浮かんだのが親の存在だった。
親は私がこの世に生まれて初めて出会った敵だった。
父は死んだが、父のことを考えると父もかわいそうだったんだな、という考えにたどり着いてしまい、憎めればよいが、そうもできない。それが私はつらくてかなわない。
死してなお、私の心を引き裂くのである。
問題は母である。この人は生きているが、私の心の中に石のように居座っている。
忘れた頃に電話をしてくる。
そして私がギョエーと内心叫ぶようなことを言ってくる。5万円貸してくれとか。
もし、死んだ父と生きている母を愛せたなら、私は楽になれるのではないか。そう思った。だが人間の心は簡単に変えられるものではない。

ルカの福音書「敵を愛することについて」

あなたがたの敵を愛しなさい。あなたがたを憎む者たちに善を行いなさい。(中略)
あなたの頬を打つ者には、もう一方の頬もむけなさい。あなたの上着を奪い取る者には、下着も拒んではいけません。求める者には、誰にでも与えなさい。あなたのものを奪い取る者から、取り戻してはいけません。(中略)
しかし、あなたがたは自分の敵を愛しなさい。彼らに良くしてやり、返してもらうことを考えずに貸しなさい。そうすれば、あなたがたの受ける報いは多く、あなたがたは、いと高き方の子どもになります。

なんでこのルカの福音書の話を思い出したかというと、昨日、バス停でバスを待ってる間、年輩の女性と世間話をした。
その方が「私、最近痩せたの。人間関係で6キロ痩せたの。引っ越ししたら、隣の人が嫌な人で。私の家のお花をみんな切っちゃうのよ。キレイに咲いた花のトコだけ切り落とすの。嫌がらせよね。でも文句言うとケンカになるから我慢してんの。それがストレスで6キロ痩せたの」
その女性と私は顔見知りなわけではないが、その方はとてもフレンドリーに話すのでつい、昔からの友人のように話を聴いてしまった。
「でも隣が嫌な人だと嫌ですよね」
と私がいうと、
「でもね、いつかは隣の人と仲良くなるかもしれないし、そうしたら、お花はキレイよねとさり気なく言ってやりたいわ」
と彼女が言ったところでバスが来た。

愛、とはよく歌や小説の中で頻繁に出てくる言葉だ。
敵など、この世ではいくらでもいる。敵だらけ、嫌な奴だらけだ。
果たしてその敵を許し、愛すことなど可能だろうか。
だが、私はそもそも、愛を知らない。

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