見出し画像

ねこの孫2

「ママ、泣いてる」
耳を伏せていわおの足にぴったりくっいてあんが言った。
「うん。ママ泣いてるね。ママ頑張り過ぎて疲れちゃったのかな?」
泣き出した娘にどう接していいのかわからず、厳は仔猫の杏に話しかけた。
杏は首をかしげると、
「ママ疲れちゃって泣いてるの?どっか痛い痛いなんじゃないの」
と言った。
「痛い痛い?杏はそんな言葉知ってるのか」
「ママが言ったよ。痛い痛いだと涙が出るんだよって」
「そうか。紀子のりこ。どっか痛い痛いなのか」
厳が紀子に向かって言うと、ズルズル鼻水を啜りあげて「そうじゃないわよッ」と紀子が顔をあげた。
「もう、泣きたくて 泣いただけッ。家じゃ泣けないからよッ」
昔から意地っ張りな娘だったな、と厳は台所で湯を沸そうと思い立つ。
「おじいちゃん」
「うん。おじいちゃんはお湯を沸かしてくるから。そしたらお昼ごはんにしような」
厳は杏に言って台所へ向かった。
厳が席を外すと紀子はテーブルにあったティッシュの箱からごっそり紙を抜き取り盛大に鼻水をかんだ。ついで涙もごしごし拭いた。おかげで化粧もあらかた落ちた。紀子は使ったティッシュを丸めてごみ箱へ捨てた。そしてやっと人心地がつく。
「ごめんね。杏。ママ泣いちゃった」
「ママー」
杏は紀子の膝に飛び乗ると紀子の顔を見上げた。
「ママ痛い痛いじゃないの?」
紀子は杏の頭を優しく無でながら、
「うん。ママはね、痛い痛いじゃないの。心が疲れてないたのよ」
「心ってなに?」
「うーん。心っていうのはね…どう説明したらいいのか…。目に見えないものなのよ」
「わかんないー」
「そうよねー」
紀子は杏の頭に鼻をつけて匂いを吸い込んだ。香ばしい、お日さまみたいな匂い。
「杏はいい子ね。しばらくおじいちゃんと暮らせる?ママいなくて大丈夫?」
「大丈夫だよー」
「ほんとかなあ」
「ほんとだよお」
そこへ巌がポットを下げて戻って来た。
「最近、フリーズドライの味噌汁に凝ってるんだ」とお椀をふたつテーブルに置く。
「前は自分で野菜いっぱい入れた味噌汁作ってたりしたが、面倒でな」
「ふーん」
紀子は気のない返事をした。
洋一よういち君とうまくいってないのか」
巌はレジ袋から弁当を取り出しながら紀子に訊いた。
「そうよッ」
紀子がまた垂れてきた鼻水をかんで叫んだ。
しまった、と巌は思った。できるだけさり気なく訊いたつもりだったがまずかった。
「洋一なんかねッ、もうまともに会話もしてないわ。あいつ私を避けるのよ。杏のことも無視するし、自分の子供なのにさ」
と紀子は言ったが、自分の子供がね猫の姿で産まれてきたら、ちょっとやそっとでは現実が受け入れられないのではないか、と厳は思う。現に自分も最初、紀子から産んだ子が猫だったと聞かされた時は娘の言葉が信じられず、娘の正気を疑ったりしたものだった。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?